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mouratta’s blog

うっかり半世紀生きてきて、自分がギフテッドとやっと気づいた私。

孤高を目指してなんかない…んだけどね^^;

何でこのブログを始めたか…最初の記事は、こちら 

 

 あ~・・・残念・・・

毎週日曜日に更新…するのを心がけたいと思っていたのですが

先週はついにDownしてしまって果たせず…(´・ω・`)ショボーン…

季節の変わり目への対応力があまり高くなくて、体調崩しがちなので

いつもはそれなりに気をつけているのですが、今回はちょっと下手を打って

しまったようで、う~む、クヤシイなっ!(-"-) 精進いたしますw

 

さて、 

Wikipediaの「ギフテッド」の記述内容をお借りして

私の場合はこんなんでした…というのをぽつりぽつりと書いております。

ちょこちょこと進み、今回はギフテッドの抱えがちな問題について、

今週で2回目です。 

 

 

「ギフテッド」についてWikipediaより精神的、社会的な問題についてを引用。

 最終更新 2016年9月19日 (月) 06:12 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。 

孤立

ギフテッドはOE(前述)に起因する少し変わった行動をとる、同世代の子供達と精神年齢や興味が異なり話が合わないといった理由で、気の合う友達がみつからなかったり、他の子供から疎外されることもある。外界からの刺激を嫌うためや、人生をより真摯に受け止めるがゆえに内向性を持ち、頻繁に内省するために、ギフテッド自身が一人でいることを選ぶ場合もある。

 

OEに起因する「少し変わった行動」 と言われても…(´・ω・`)

本人は絶対「奇をてらおう」とかしてないと思います。 

て言うか、変わった行動とも思ってないと思いますw

むしろ周りがそういうことにビックリしたりすると、

ビックリされたことにビックリしますw 

「え?そうなの?変なの?」です。

周りは実はびっくりしているのだけれど、大人の礼儀的に指摘しない場合、

自分の振る舞いが「少し変わって」いるなんて気づきもせずにいたりします。

 

「精神年齢や興味が異なり話が合わないといった理由で」

これはもう…子供時代だけではなく、ずっとです。 

そして多分、多くの場合、話が合わないのは相手ではなく自分が「オカシイ」

と感じて自分を責める傾向が強いかもしれません。 

 

私自身は、特に青年期に興味が合わず、話が合わずということについて

「何なのコイツらほんとにバカじゃね?」と思うことも多かったです。

このことは前にも書きましたが、会社のお昼休み、同僚の話す内容が

あまりに…昨夜のドラマの話を延々…ってのに、耐えられなかったです。

 

同僚たちがバカだったというよりは、その頃の私に問題がありました。

自分自身の抱える強い劣等感を受け入れられず、自分の弱みを一切認めず

「デキるパーフェクトなスバラシイワタクシ」鎧で、

精神的に武装することで自分を保っていました。 

立ち位置は常に壇上最上段w

当時まだその言葉は無かったけれど、今で言う「上から目線」思考。

ホント、厄介な人物でした。 

 

「コイツらバカじゃね」と思いつつ、実は自分が「オカシイ」んじゃないだろうか、

という深層の不安に常に脅かされていました。

それを認めてしまえばすべてが崩壊しかねないので、それこそもう、

必死で目を逸らしていました。

批判されたり、ミスを認めることが怖くて怖くて。

ちょっとでも何か指摘されるとものすごい勢いで反撃に出ました。

一言で言えば「めんどくせぇ」人物です。 そりゃ疎外もされますわw 

 

 

特にギフテッド仲間の社会的ネットワークを持たない者にとって、孤立は一番の問題である。他人に好かれ、認められようと、ギフテッドの子供はしばしば自分の能力を隠そうとする。低達成児となったり、家族や信頼できる人といる時に使う高尚な言葉とは異なり、同級生といる時は簡単な言葉を使うようにするといった、本当の自分とは異なる姿を演じる[19]。これはギフテッドの女性に際立って見られる傾向である。

 

(^o^) 薬指長いです~w

何それ?とお思いかもしれませんが、胎児時代に母親の子宮内で

「アンドロゲン・シャワー」を浴びることで「脳がXYに対応する成長傾向」へ

舵を切るということが、現在、パラダイムとなっているようですが、

その場合(アンドロゲン・シャワーを浴びた場合)薬指が(人差し指に比べて)

長くなる現象が発現する、とも言われています。 要は男性(XY)っぽい脳。

そうは言ってもおしゃべりは好きだし地図読めないしw

あくまで「っぽい」程度なんでしょうね。 半端やなぁ(T_T)

 

私はどうも女性らしい考え方はあまり得意ではないのですが、そのお陰で?

「自分の能力を隠そうとする」ということはほとんどしませんでした。

そのために、当時はまだまだ根強かった男尊女卑的偏見で「生意気」

「女のくせに」「出しゃばり」「怖い」「嫁にいけない」などなどw

まぁ言われた言われたw 

こういうことを言うのは、大方私より「出来ない」連中でしたから、

たいして気にもならなかったけれど。 

でもダメージを受けないわけではありませんでした。 

もし私のOE傾向がもっと強かったらキツかったかも。

  

一般社会において人は「ふつう」でなければならないという多大な心理的負担がある。ギフテッドやタレンテッドの人間は、変わり者という烙印を押されたり[20]いじめの対象になったりし、自己嫌悪や自己卑下する可能性もある。この孤立問題を解決するために、ギフテッド教育の専門家は共通した興味や能力に基づいたギフテッド達でグループを作ることを薦めている。グループに参加する時期が早いほど、孤立を避けられる[21]

 

そうですね。 「普通」でありたい、と思っていました。

ずっとずっと、自分は外れ者と感じて生きていましたから。

「ワタシハチャントシテナイ、ダメナコ」という気持ちが常にあって。

自己嫌悪や自己卑下は、それが当たり前でノーマルと思っているので

特にわざわざそうしているという自覚すらなかったです。 条件反射でした。

 

それでも歳を重ねるにつれ、社会の中で出会った人から学ぶ機会はあって

少しずつ…本当に少しずつではあっても、そういう考えから脱却していけました。

 

私にとって幸運だったのは、営業職に就いたことだと思います。 

時には販売の現場に立って、お客様に応対をすることもありました。

様々な人と短時間であっても会話し、応対し、学ばせていただくことが

とても多かったと今は感じています。

 

幾つかはまさに「衝撃をもって」w 学んだこともあります。 

 

接客の中ではお客様を「褒める」ことは基本のキの字! もちろん単に

「お美しい!」なんて、いかにもお世辞な褒め方は論外なわけでw

それなりにテクニックが必要なわけですが…今でも忘れられないのは

お客様のアクセサリーをお褒めしたときに、本当にごく自然に、でも

ほんのちょっとはにかみながら「ありがとう!^^」とお礼を言われた

ことがありました。 

 

ものすごい衝撃でした。 

だってそれまで「誰かに褒められたら全力で卑下して謙遜せねばならない!」

さもなければ大変な失礼に当たる…と思ってましたからw

 

こんなに素直に「ありがとう…(^○^)」って言っていいんだ…!と。

そしてそういう対応をされることは、こんなに嬉しい気持ちになるんだと。

「心からそう思っている気持ちを素直に表現すれば、伝わる」ということを、

その時初めてちゃんと受け止められたのだと思います。

 

それまで、他の誰かの話を「くだらない」「面白くない」「とっくに知ってる」

そう思いながら「へぇ!そうなんだ!すごいね!」と対応することに慣れて、

そして、他の誰かにすごいね!とかって褒められたり感心されたりしたことを

「そんなことも知らないのか」「こんなことも分からないでいたのか」と

うんざりする気分をおくびにも出さず「いやいや、偶然TVでやってたの見た」

というように、「自分は全然スゴクないです」と、演じ続けてきたわけで。

 

でもそういう「演技」は、多分カンの鋭い子なら、嗅ぎ分けると思う。

会ったのが一度や二度なら別だけど、学校や職場で長期間一緒となれば。

自分に心を開いてくれずに、上っ面の優等生的対応しかしない相手には

だれも本当の意味の好感は持てないだろうし、それが「いじめ」につながる

こともあると思う。 いわゆる「鼻持ちならない」ヤツ、ですね。

 

私は幸い、深刻ないじめに遭ったりはしなかったけれど、ほぼ孤立、という

状態が多かった。 ぽつん、ではないけれど、無条件に群れている集団に属す

ということは無くて。 まぁ、そのほうが自分もラクではあったのですが。 

 

「共通した興味や能力に基づいたギフテッド達でグループ」

…あったらなぁw ずいぶん楽だったろうなぁ。

でも、今までの亀歩きみたいにノロノロと学んできたことが悪いとは決して

思ってはいません。 自分自身の内面の成長度合いが満ちないと、まったく同じ

メッセージを受け取っても、それをどうとらえるかは大きく変わってきますから。

 

 

欧米にはギフテッド教育を施す私立校がある。アメリカ合衆国の場合、公立や進学校を含めた他の私立からギフテッド専門の私立校へ転校する子供も多い。専門私立校は公立のギフテッド・プログラムとは異なる選考基準を設けるところもある。卒業生がアイビー・リーグなどの名門大学に進む学校も多いが、ギフテッド専門校は進学校ではなく、あくまでもギフテッドである生徒のニーズにきめ細かく応えることができる学校である。そこでは、ギフテッドの子供が、本来の自分のままでいながらにその才能を最大限に咲かせられることを最優先にしている。ギフテッド専門校に通ってようやく話が通じる仲良しの友達ができた、「普通の人」を演じる必要がなくなった、というような広義の意味でのクオリティ・オブ・ライフ(人生の質)の向上に力を入れている。

 

 こういう環境が本当にうらやましい。

まぁね、「私立校」ってことは、それなりに経済力がないと行けないと

いうことなのかな、それはそれでちょっとなぁ…とも思うけど、

少なくとも教育現場にはそういう認識がしっかりあるということだもの。

 

自分自身を振り返っても、ずいぶん「こじらせて」いた部分はあって。

それはやはり、疎外感、孤立感、自己嫌悪、などなどのネガティブな

感情が原因として大きいと思います。

 

お前は「チャントシテナイ、ダメナコ」じゃないんだよ!…って

誰かに言ってもらえていたら、

「仲間はいるんだよ」って…言ってもらえてたら。

 

私みたいにうっかり半世紀、こじらせタイプでうつうつと日々を過ごさずに

済むんなら、いいじゃんw

社会にとって10年後、20年後に大きな財産になる可能性高いと思うんだけど。

教育現場での認識度合いを急ぎ向上させて欲しい! 切に願います!!!

 

 

 

私はギフテッドです。

そして2Eと言うタイプで「算数障害」を抱えています。

 

Wikipediaの「ギフテッド」項目を目にしたことをきっかけに

自分がギフテッドであると認識しました。

Wikipediaの「ギフテッド」の項目に書かれていることが全て

絶対的に正しい…わけではない…ということはきちんと踏まえつつ

その内容について、個々に自分はどうであったかをこのところ何週かで

書き記しています。

 

今回は「孤立」について。

実際の生活の中での対人的な「孤立」だけではなく、

本人の内面、精神的な孤立は、一見外からは分からないだけに

ギフテッドの心に大きな負荷をかけかねない問題だと思います。

 

OEの度合いなどが個人でそれぞれに異なるので、単純には言えませんが

私はやはり、人とのコミニュケーションのなかで学び、自分の認識を

広げていくことが、その負荷を軽くするには大切な気がしています。

 

ですが、まずはやはり社会的に、特に教育現場で「ギフテッド」についての

認知がもっと広がっていくことを切に願っています。

 

そして、敢えて書きますが「ギフテッド」は

「天才」「優秀」「あふれる才能」といった、良いことだけではありません。

多くの場合、精神的な部分で人よりもずっと傷を負いやすく、

その傷のダメージは長く尾を引きます。 

 

それをのり越えていく確固としたマニュアルは存在せず、壁にぶつかり

痣をつくり、時には爪を剥がし、泣くことすらも出来ずによろめき歩く、

そんな思いをしている場合が多々あると思います。

本人たちにとって、「ギフテッド」は褒め言葉などではなく、

自分自身への困惑から解放してくれるかもしれない薬…

傷薬、あるいは鎮痛剤程度のものなのかもしれません。

色々「問題」はあるのだけれど。 

何でこのブログを始めたか…最初の記事は、こちら 

 

Wikipediaの「ギフテッド」の記述内容をお借りして

私の場合はこんなんでした…というのをぽつりぽつりと書いております。

ちょこちょこと進み、今回はギフテッドの抱えがちな問題についてです。 

 

 

「ギフテッド」についてWikipediaより精神的、社会的な問題についてを引用。

 最終更新 2016年9月19日 (月) 06:12 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。

精神的、社会的な問題

OE(過度激動)に起因する問題

ドンブロフスキは、強いOEを持つ人間は最高にハイな気分とどん底に沈み込む気分両方を味わう可能性があり、決して楽な人生ではないことを表して、OEを「悲劇的なギフト(天からの贈り物)」と呼んだ。

 OEが強い場合、周囲のあらゆる刺激に過剰に反応してしまい、所属する集団から浮いてしまうことがある。例えば、感情の起伏が激しいことから気分屋、知覚が鋭く些細なことで不快になってしまうことから神経質、といったレッテルを貼られる(ラベリング)。また反応が表面化しない場合でも、普通であるべき行為が心から自然にできない、相手の感情・欲求・反応などを考えすぎるあまり行動に一貫性がなくなる、などの対人距離、反社会的反省に常に駆られ、状況を満足に楽しめないケースも多い。逆に、感情や五感への刺激を避けるために敢えて集団から離れていると、今度は人付き合いが悪いと非難される。それらの状況下で感じるあらゆる気分的うつ(慢性のうつ病とは異なる)や自己嫌悪といった否定的な感情も、OEゆえに必要以上に増幅され強く感じてしまうため、逃げ場を失う危険を内包する。

 

これは個人差が大きいし、状況に左右されることも多いと思います。

時代性もあるかなぁ。

「最高にハイ」も、一体どこが最高点なのか、どん底が一体どこが底なのかw

その渦中にいる時より後になってから分かることのほうが多そうな…

私のことで言えば、「最高にハイ」…う~む、「ハイ」ってのがなぁ…

「ひゃっはーーーーっっっ\(^o^)/ !!!」 と、我を忘れるほどの

…ってことはあんまりなかったw

どん底は、ホントに沈み込みそうになるほどの絶望感ってのは何度か…ありました。

 

 10代の頃は「気分屋」「神経質」と言われることも多かったですね。

相手に合わせようとするあまり、自分の気持ちを後回しにしすぎて、でも

結局は疲れちゃって上手く人間関係を構築できないことも多かったです。

ぽつんという状態にはそんなにならなかったけど、分かり合える友人はごく…

ごく少数でした。 

あからさまにはしませんでしたが、陰鬱な気分が普通な状態でした。

「何で私はこうなのかなぁ…(..)」って感じをいつも持ってました。

でもそれが他の人よりも強いとかまでは思ってなかったです。

みんなこんなもんだろうと思ってたんです。

 

逃げ場を失う…かぁ…。

どこにも逃げ場はない → どこに逃げたって結局一緒

…と考えたのが結果として良かったんでしょうか。

そうじゃなければ、ちょっと生きていくのが辛すぎたかもしれませんね。

 

 

気分的うつ

ギフテッドと慢性うつ病自殺との関連性は、科学的には未だ証明されていない。レイスとレンズリの研究では次のように述べられている。「著述や視覚芸術に優れた独創的なギフテッドである青少年を除いては、ギフテッドの人間も一般人もうつ病に関する違いはない。ギフテッドは知覚能力が発達しており、他人よりも敏感で発達社会的に孤立し、発達状態にもむらがあるため社会的、精神的な問題にぶつかる。しかしながら、彼らのもつ高い問題解決能力、ソーシャル・スキル、倫理判断、学校外の事物への関心、達成感といったものが助けとなっていると思われる」[16] また自殺率についても、ギフテッドとの関連性はいまだ証明されていない[17]

しかし、ギフテッドの人間が気分的にうつ状態に陥ることが多いことは、過去から広く認知されている。死の終局、個人個人の根本的な存在、人生の意味や意味の欠如といった抽象的な心配ごとが引き金となり、他人より不安を感じやすいという性質もうつ状態に拍車をかけている[18]

 

確かに気分的にうつ状態に陥ることは多いと思います。

これは本当にうつ病と診断されてつらい思いをしてらっしゃる方から見れば

ちょっと落ち込んだだけで何言ってんの、そんなもんじゃないのに!と

お叱り受けるかもしれないですが…そうですね、「気分的にうつ」っていう

言い方がちょっとなぁ。 「メランコリック」と言った感じのほうが近そう。

他の人にすれば「何をそんなに」というようなことで、ものすごく気分が落ち込む

ことがあります。

「死の終局、個人個人の根本的な存在、人生の意味や意味の欠如といった抽象的な心配ごとが引き金となり、他人より不安を感じやすい」

あ~これ、あるあるですwww

とくにこの「人生の意味」とか「意味の欠如」とか。 

まるでギリシャ時代の哲学者に憑依されたがごとくwww

 

時折り思い出すのですが、私とほぼ同年代の岡真史(おか まさふみ)…君。

彼は12歳で自ら命を絶つのですが、それが1975年のことでした。

当時は10代の「子供」が自殺するなどとは社会通念上まったく考えられて

いない時代で、その後ご両親によりノートに書き記されていた彼の詩が

「ぼくは12歳」として発表されました。

 

「何故だ。 どうしてわずか12歳の子供が自殺などするというのだ!?」

という世の中の「分からん」大人たちのあれこれ言う空虚な言葉を見ながら

「歳関係ない。もしかしたら私だったかもしれない。」と、口には出さずに

ずっと思っていた出来事でした。 私はおそらく彼はギフテッドだったろうと

考えていますし、そう考えると彼がその年齢で自死(ご両親は自殺ではなく

この言葉を使っています:ご両親のお気持ちは理解は出来るのですが、当時

まだその言葉は社会的には認知されておらず、ほとんどの場合自殺という表現

でありました)を選んだのは…彼にとっては「拍車がかかった」末の、

「逃げ場を失った」結果だったのかもしれない…ですね。

 

 

 さて。

 この後「孤立」という項目に入っていくのですが、

あまりにエピソード記憶があふれてしまい、無駄に長くなっちゃって

収拾がつかないので来週まで練り直そうと思います^^;

孤独感は…ホントに長いこと、とてもつらいことだったので。

・・・つい、とめどなくなっちゃうのよねぇ(´・ω・`)

ではまた。

 

 

私はギフテッドです。

そして2Eと言うタイプで「算数障害」を抱えています。

 

Wikipediaの「ギフテッド」項目を目にしたことをきっかけに

自分がギフテッドであると認識しました。

Wikipediaの「ギフテッド」の項目に書かれていることが全て

絶対的に正しい…わけではない…ということはきちんと踏まえつつ

その内容について、個々に自分はどうであったかをこのところ何週かで

書き記しています。

自分自身でも認識しきれていなかった特性が分かったこともあり、

結構自己把握にはいいかも…と思ったりしています。

昨日、きわめびとって番組で。

今週もカテゴリー2本立て。「ギフテッド」ではないんだけれど。

 

きわめびと、土曜日の朝にやってるのですね。

お悩みをお持ちの方に、その道のプロが解決法を指南する、

とのことで。

 

昨日は小学生の男の子のお母さんが

「子供がちゃんと宿題をやろうとしない」

「字が汚すぎて先生から『名前が読めないレベル』と言われる」

「注意しても叱っても言うことをきかない」

…とお悩みのようでした。

 

で。

最近よく聞く「コーチング」というスキルをお持ちの方のアドバイス

まぁ、子供の話をちゃんと聴こう、否定的なことではなく肯定的な言葉で、

っていうような行動をとるようにお母さんが動いてみたら、

何だか良い方向に行きそう…(^o^) よかったなぁ♪

 

うん、それは良かったと思うよ、とっても良かったよね。

でも私がすごく気になったのは

「(書いた)名前が読めないくらいの字の汚さ」と、

「鏡面文字を書いている」ということ。

けれど、実はお母さんの行動をしっかり観察して把握していて、

それを具体的にきちんと言葉で言い表せている。 賢い子だなぁ。

 

ディスレクシアっぽく感じるんだけど? と私は思ったわけです。

あの番組ご覧になっていた中で、私と同じようなことを

感じた方もいらっしゃるんじゃないだろうか。

 

  

ディスレクシア英語: Dyslexiaディスレキシアとも)は、学習障害の一種で、

知的能力及び一般的な理解能力などに特に異常がないにもかかわらず、

文字の読み書き学習に著しい困難を抱える障害である。

難読症識字障害(特異的)読字障害読み書き障害とも訳される。

1884年ドイツの眼科医ルドルフ・ベルリンドイツ語版によって報告され命名された。

顕著な例では数字の「7」と「seven」を同一のものとして理解が出来なかったり、

文字がひっくり返って記憶されたりして正確に覚えられない、など様々な例がある。

 

ディスレクシア学習障害の中で最も多い障害であり、

世界すべての地域で確認され、人口の3-7%ほどに見られるが、

それがハンディとなっているのは20%程度である。

男性のほうが診断率が高いが、男女で等しく確認されると言われている。

 Wikipedia ディスレクシアの項目から一部引用

最終更新 2017年2月5日 (日) 11:04 (日時は個人設定で未設定ならばUTC

はい、あくまでWikipedia の記述ですからね、これが全て正しいとは限らないって認識は忘れずに。

 

4月24日追記

上記で「ディスレクシア」としていましたが、

内容的には「書字表出障害(ディスグラフィア)」のほうが適切と思われます。

私自身がディスレクシアがディスグラフィアを含んでいると誤解していたため

このようなことになってしまいました。 申し訳ないです<(_ _)>

ディスグラフィアはじめ、LD(学習障害)の特徴はこちらのサイトに

分かりやすく纏められていました。

giftedkyouiku.com

(上記サイトより)書字表出障害(ディスグラフィア)の特徴

男の子に多く見られます。男の子の出現率は女の子の約3倍です。
・ 書くのが苦手
・ 鏡文字を書く
・ 文字を雰囲気で書く
・ 文字を書くのに時間がかかる
・ 漢字を覚えるのが苦手
・ 文字の大きさバラバラでマス目からはみ出る

 

…ということで、こちらのほうが当てはまるようですね。

文章は近々差し替えて書き直し、その際この追記も削除します<(_ _)>

 

 

私は医師でも研究者でもないので、「ですよ。」と断言などできない。

そのことはよく分かっているし、何より人様のお子さんに、

なんちゃら「障害」という言い方を簡単には決してするべきではない、

特に今の日本に於いては。 …とも思っています。

どんなに「良かれ」と思っても、軽く、単純な言葉ではないですよね。

言われた側にすれば、まさに言葉の暴力になりうるほどのものだと。

 

番組を見ていた私がものすごくショックだったのは、

学校の教師からすらも「もしかしてディスレクシア…」

というような懸念の表意が全くなされていないらしい様子。

 

いやもちろん、

もしかしたら、実は既に親と教師の間では話し合われているかもしれない。

番組として、趣旨から外れるので放送内容から外した可能性はある。

なので、こういう内容をUPすること自体迷ったのだけれども…

 

もし、もしも、

「(書いた)名前すら読めないレベルの汚い文字」「鏡面文字を書く」

というのがディスレクシアの特徴として頻繁にみられるもの…

という認識自体がまったくゼロで、思いつきすらしない周囲の大人たち。

 

努力すれば「ちゃんとできるようになるはず」

(デキナイノハオマエガチャントシテナイカラダ)

という考え方以外持ち合わせていない周囲の大人たち。

 

そういう大人たちしかいない状況の中で、

もしも…もしも…あの子にディスレクシアの傾向があり

そういうことを全く考慮されずに暮らして、通学して、

勉強しているなら…ものすごく辛くないかい?

 

あのお子さんがディスレクシアだと言い張るつもりは毛頭ないです。

 

ただ、ディスレクシアの特徴に当てはまることがあるので

詳しい検査を受けてみませんか、もしそうであれば、

別のアプローチをすることで今までよりずっとスムーズに

能力を引き出して伸ばしていくことが容易になる可能性がある。

 

もちろん単に成長の過程として、文字認識が追い付かないとか

学年が進めば自然にクリアできることなのかもしれないけれど、

検査してみて自分自身の学習傾向を知れるならそれは有意義と思う。

 

というような持っていき方は、現場で普通になされてはいない?

と、心配になったのです。

発達障害者支援法が、平成17年に施行されてから10年以上すぎ

昨年、 発達障害者を取り巻く状況の変化を受けて改正が行われました。

 

10年以上!

 

 

算数障害で全く数学ができないことを

「お前が悪い」「怠惰だ」「我儘だ」「努力しないロクでなし」

「どうなっても知らんぞ」…と、散々な言われようをされて、

私自身はどっちかというと反抗的で強情なタイプだったから

泣き崩れるようなことはしなかったけれど…辛くなかったわけじゃない。

そして結局は大人たちに言われたそのままに、自分自身を責めたw

責め続けて、自分は存在価値のない人間だと劣等感に苛まれてきました。

 

誰か…一人でも、

「あ~、それね、学習障害。 アナタが悪いわけじゃないよ^^」

って言ってくれる大人が、もし学生時代にいたなら・・・(T_T)

今はもう、ふっとため息一つついて笑えるくらいになってはいるけど。

 

  

まさか、教育の現場ではいまだに私の学生時代のままの認識が

罷り通ってる…とは思いたくない。 

あれから最長で40数年、

もうあんなつらい思いする子供、一人もいて欲しくない。

 

繰り返していうけれど、あの子がそうかどうかではなく、

もしかしたら…と。

 特徴の幾つかが当てはまるけれど、もしかしたら?…という認識を持って、

どの子供にも注意深くまなざしを向けて欲しい、ということ。

それがディスレクシアでも、それ以外の学習障害でも、

実は本人は「何故できないのかわからない」と

全く認識できていない場合が多いと思うのです。

 私がうっかり半世紀生きてきて、まったく気付かずにいたように。

 

Wikipediaを鵜呑みにするわけではないけれど、

「人口の3~7%に見られる」ってことは、

30何人のクラスには1人や2人いて当たり前ってことですよね。

 

今回、自分のこともじっくり振り返ってみると、あ、

「D」のカーブが右側だったか左側だったかとか

アルファベットの「E」をカタカナの「ヨ」に書きそうになったりとか

「頭」の「豆」と「頁」のどっちがヘンでどっちがツクリだったかとか

「N」と「И」間違えそうになるとか

読みは問題ないのに、手書きだと書き始める前にほんの一瞬、混乱する。 

手書きに限ってのことで、幾つかの決まった文字だけなのだけれど。

「著しい困難」ではないけれど、ディスレクシア傾向が私にもあるのかな?

 

 

何だか今日は文章にまとまりないなぁと自分で思うのですが

私には小学校とかの現状が全くわからないので

もしかしたら、実はもうしっかり体制は取られているのに

私がそれを知らないがために、的外れなことを言ってるかも…と

引っかかりながら書いているので、そのせいです(´・ω・`)

 

的外れなことでしたら、本当に申し訳ないです。

でも、そうなら、ホントのところは結構ウレシイ。

…的外れだったら、いいなぁ。 と、ホントに思う。

感情性OEってこんな感じ。 時事ニュースに絡めて。

何でこのブログを始めたか…最初の記事は、こちら 

 

今日の書き込みはギフテッドに関係はあるけれど…という感じ。

なのでカテゴリー2本立て。

 

 

数日前から大きく報じられていますが、

金正男氏が(おそらく)暗殺されたというニュース。

この出来事をベースにして、私のOEな反応が実際どんな風なのか

ニュースに絡めて書き出してみようかと思います。

 

 

先週までWikipedia の記述をベースに「ギフテッド」の特徴とされることを

個別に取り上げて、「あ~、それ、私はこんな風なのよねぇ」というように

思いつくまま書き始めて、先週「OE:過度激動(過度の感情表現)」まで

進んできました。

 

Wikipediaを読んで、自分なりに理解できてはいたと思っていましたが

このブログを書く上で、細かく丁寧に当てはめたり思いだしたりしたことで、

今まで何故自分はこんな風なのだろうか…と自分を持て余していたことが、

実はOEに由来する反応なのだと改めて深く理解できました。

そこに今回のマレーシアの事件、そのニュースを耳にした時の自分の反応が

とても…具体的に(あぁ、なるほどな、これがOEってことなのか)と

よくわかったので、今週はそのことを書いてみようと思います。

 

えっと、まずは表明しておこうかな。 私自身は北朝鮮について

「それってどうよ?(-"-)」的な気持ち…というスタンスです。

拉致問題、ミサイル・核兵器開発、人権蹂躙、独裁、などなど、

うんざりするわ全く(あぁ日本人でよかった、でも日本だって戦前戦中、

下手すりゃ戦後まで、似たようなことはあったのだろうしそう思うと

国家体制とか教育とかってものすごく…以下略、ぶつぶつぶつ…)という

言葉にすればあれこれと滅茶苦茶長い話になるような心のつぶやき。 

ヘイト的な感情は持ちたくはないし、持たないよう自身を戒めています。

今日の書き込みは国家とか権力とか陰謀とか政治とか人権とか犯罪とか、

そんな話に踏み込むつもりはさらさらなく、このニュースに触れた時

私自身が経験した「感情性OE」がどんなものだったかという話です。

 

さて、ドンブロフスキさんの提唱した「OE:過度激動(過度の感情表現)」

以下の5つに分類されています。

精神運動性OE、知覚性OE、想像性OE、知性OE

そして感情性OE、今回自分で具体的に把握できたのがこの感情性OE。

              

感情性OE感情の種類と幅が大きく「ドラマチック」な反応を示す。より楽しみ、より悲しみ、より腹立ち、より驚き、より恐れ、より共感する。深く感情移入し、愛着心、責任感、自省意識も非常に強い。ある程度の人生経験を持つギフテッドには、相手の気持ちを鏡のようにリアルタイムで読取り、共感する人もいる。

             Wikipedia「ギフテッド」の「ギフテッドの特徴」項目から一部引用

              最終更新 2016年9月19日 (月) 06:12 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。

 

 

今回の事件の第一報を目にしたとき、まずは「えええっ!?」と驚き、

同時になんとも言えない哀しさというか、胸の痛みというか、同情というか。

 

金正男氏に会ったこともなければ、すれ違ったことすらないわけで

(都内や空港で知らないうちにすれ違ってたかもしらんけど)その人となりも

メディア通じてのことしか知らないし、「世襲制には反対」なんて発言を

したらしいけど、もし自分が世襲してたらどうだったんでしょうかね、とか

そんな程度の認識しかない相手にシンパシー持ちようもない…のですが

にもかかわらず、ふと落涙してしまうほどの感情が沸き上がりました。

 

 後継者レースから外れ、祖国を離れ、異母弟が権力を世襲し。

「おそらく、まず間違いなく、命を狙われる」ということが、

映画や小説ではなく、妄想でもなく、冗談ではもちろんなく、

現実であるという状況の中で生きていく。

何年も、何年も。 家族も同様に。

 

その理由は、ただ、その立場に生まれたから…生まれてしまったから。

そりゃその立場に生まれたからこその「イイ思い」もあったろうけれど

プラスマイナスしてプラスに傾くとは本人にすれば思えないだろうし。

 

そしてこの後、残された家族はどうなるんだろうとか、

そもそも家族とは関係性は良かったのだろうかとか、

遺族は遺体に逢えるのだろうかとか、葬儀は行われるのだろうかとか

遺体はどこに葬られるのだろうかとか…

 

 

その時、私の脳内バックグラウンドでは、サミュエル・R・ディレーニ

「エンパイア・スター」の一節、サン・セヴェリナの言葉

彼らはこのマルチプレックス宇宙の不面目であり、悲劇でもある。彼らが自由になる時まで、人間は誰も自由とは言えない。彼らが売買される間は、いかなる人間であっても売買されるかもしれない___」が思い起こされ、

猫十字社フィローン士官学校幻獣の国物語外伝 」の登場人物の

「ヤクザの倅」が語る

「他の人生だってあったんじゃねぇかって考えることも無ぇわけじゃねぇんだ」

のワンシーンが浮かび、

P・コリンズの「アナザー・ディ・イン・パラダイス」が流れ。 


Phil Collins - Another Day In Paradise (Official Music Video)

 

そういう諸々に 「ドラマチック」な反応を示し

相手の気持ちを鏡のようにリアルタイムで読取り、共感するという状態に

メディア以外で見たこともない相手であっても、なったのですね。

本当に相手(金氏)の気持ちがどうだったかは知る由もありませんが

…辛くなかったとは思えない。

単純に辛いなんて言葉で表せるかどうか、想像できないほどだと思う。

 

そしてそれに続いて過度の感情の…噴出とでもいうべきなのかな、

人ひとり、このような殺され方をしたというニュースのどこにも

彼の死を心から悼む思いの欠片も見えない、ということの哀しさ。

誰か、一人でも、彼の死を心から悲しむ人はいるのだろうか。

いないのだろうか、そんなに「悪いヤツ」だったのか、彼は?

でも、私だって、「心から悼む」なんて気持ちには正直なところ

なっていないわけだし…という自分自身を省みる思いとか。

  

言葉で言い表せないような感情が広く、深く、心にあふれて

つい涙ぐむほどの状態になるのです。

 

今回のニュースをサンプルとしましたが、

いままでずっとこういうことに悩まされてきました。

他の人はごく普通に流しているようなことにいちいち引っかかる。

私が生きづらさを感じる要素の一つでした。

 

度を越して感情的って、社会人として仕事するうえでデメリット多い。

逆上するとかパニックに陥るわけではなく、ただただ相手の気持ちに

引きずり込まれるような、まさに「より深い共感、感情移入」なので

私の場合は妙なトラブルにはならなかったけれど…

なんかもう、「涙もろい」とかいうレベルで済まないので、

困ってしまうことも多々ありました。

 

しかもこういう反応は毎回同じなわけではなく、

よく「地雷」に例えられたりしますが、同じような話や状況でも

ごく普通にスルー…というか、一般的な反応でしかない、という

場合もよくあるのです。 これがまた困るというか、

OE反応を引き起こすかどうか、完全には自分でも読めない。

つまり「コントロール不可」という風に自分としてはとらえるわけで。 

 

イイ歳なのに、感情コントロールが出来ない情けないヤツ、

ずっと自分をそんな風に思っていました。

直そうと努力もしたんだけど、その努力自体も…

(´・ω・`)…しんどかったです。

 

 

そして。

ここ数年はそこに花粉症が加わって、もう何が何やらwww

しかも花粉だけじゃなくって特定してないアレルギーもあるので厄介。

さらに普段はなんともなくっても、黄砂とミックスされるとダメとか。

近年は北海道でも黄砂かなり飛来してると思う。

顔とかに独特の(花粉とは違う)痒みが出るので分かる。

喘息っぽくなるし。

  

花粉症って、不思議なもので、

ず~~~~っとクシャミハナミズナミダぐしゅぐしゅ…ってわけでもない。

明らかに波があって、なんともなかったところにいきなりどわっ!!!と

症状が劇的にやってきたりする。 

会話の途中で突然鼻の奥がきゅうっと痛くなって、涙が出てきたり。

クシャミならまだ分かりやすいかもだけど、この突発的な涙ぐみ系は

ホントに困る。 相手ドン引きしちゃうのよね。

 

今は札幌にいるのだが、北海道は花粉症患者があまり多くないので

(ドラッグストアの花粉症対策コーナーの過疎っぷりったら呆然とするw

 そもそも「花粉症対策コーナー」そのものが無いなんてこともザラ。

 でも白樺とかブタクサとか、花粉症患者はいるはずなんだけどなぁ?)                                         

そういう状態を分かってもらいにくい…(´・ω・`)

 

昨年、普段は入れない公的な研究施設の開放見学イベントにお出掛けして

それはものすごく楽しかったのだけれど、

幾つかのコーナーに分かれている、とある展示コーナーで、

セメントでペーパーウェイト作ろう!という企画をやっていた。

(子供向けなので私は作ってない)場内に細かい粒子が飛んでいたのを

吸い込んだり衣服に付いたりしたのか、20~30分くらい後に

いきなり涙ぐみタイプの花粉症発作状態に襲われまして。

その時は別のコーナーに移動していた後で、その場の展示内容を

いろいろ説明して下さってたお姉さんがビックリしちゃって。

そりゃそうだよなぁ。 (´;ω;`)…ホントごめんなさい…

 

それはOEじゃありませんw 

あ、今時期だと花粉症が言い訳に使えるか!?

・・・北海道だと社会的に花粉症コンセンサス取れてないから無理だwww

 

 

 

私は「ギフテッド」です。

そして2Eと言われるタイプで「算数障害」をかかえています。

 

OE:過度激動(過度の感情表現・過剰な感情の横溢)について

この数日大きく取り上げられているニュースがきっかけで

自分自身の「感情性OE」を具体的に認識することができました。

以前から涙もろさもここまでくるとちょっと問題、と

自分自身でも感じていたのですが、

こういうことだったのかと理解するきっかけとなりました。

 

もし、あまりに涙もろいとか、感情コントロールが弱いとか

そんな理由で、ご自分を情けないヤツと

思ってらっしゃる方がおいでだったら

それOEの可能性があります。 

あなたが情けないわけじゃないかも。

どうかご自分を責めないで。

 

社会生活上、とても困ることが多いのであれば

気を逸らしたり、感情にフィルターをかけたり、

脳内で別のイメージを持ち出してみて変換したり、

色々とご自分に合った方法を考えて試してみてください。

 

私自身は脳内に感情スイッチイメージして、

それを「パチン」と切ることで対応するのがもっとも合ってました。

スイッチを切って別人格になる、というイメージでした。

完全にクリアは出来ないのですが、効果がありました。

もしご参考になれば幸いです<(_ _)>