A3サイズのクリアファイルが欲しくて100均へ行った。
BGMに流れてたのがこれ。
『アンナチュラル』は人気のドラマだったのに私はあまり熱心に観ていなかった。 面白かったのですが。 これはもう自分でも残念だと思いつつも、石原さとみさんが…あの役というのがツラくて。
ちがうちがーう、嫌いとかじゃなくて。 私はああいうタイプの女優さんにはそれこそ「花が咲いたかのような」笑顔の役をやって頂きたいのです。 9歳で母に睡眠薬飲まされての一家心中からただ一人生き残った…なんて…(ーー;)お願い彼女にそんな辛いキャラやらせないで…という訳の分からないツラさでまともに見られなかったという。 私はアホだ。
特に市川実日子さんは大好きなので、毎回何で私はこーゆーところですんなり楽しめないのかと盛大に自分にツッコミ入れていたよ。
そんなわけでドラマの主題歌で知ってはいたのに、今日はどういうわけかけっこう心が揺れた。
この歌は基本的には親子とか恋人とか、心情的にも濃密な人間関係について歌われていると思うのだけど、そういう部分はすっかり放り投げて、ただこの一言に泣きそうになった。
「今でもあなたはわたしの光」
濃密な人間関係とは全く関わりのないところで、とても尊敬していた人物がいた。 濃密どころか直接関わっていたわけでもなく、ワンクッションおいての関わりだったので、直接会話したことすら数えるほどだったのだけれど。
適材適所という言葉、それをあれほど見事に采配できていた人を他に知らない。 組織が大きくなればなるほどその中で人を動かすということは、本当に難しいことなのに。
もちろん見立て違いが無かったわけではないが、リカバリーがまた見事だった。 自分の面子とか一切拘らずに最短で問題を解決した。
私は外から眺めているから良く見えたのだということはあるだろう。 が、外から見ているからこそ客観的に判断もできたと思う。 社内では強硬に批判する勢力もいてご苦労なさっていたのも聞いてはいた。 でもそんなことは部外者の私にはおくびにも出さなかった。
私は自分でも嫌になるほど人物の好悪に左右されるところがあって、若い時には特にその傾向が強く、その方のそういう手腕は本当にあこがれだった。 自分には全く出来ないことだったし、できる日は永遠に来ない気がしていた。
「大丈夫だよ、君は出来てる。 出来てるよ、ちゃんと。
だからアイツと一緒になったんじゃないの? 適材適所の極みだよ。」
そしてふふっと笑って、俺はダメなんだよ、嫌いなヤツには冷たいからねぇ、とかなり凄みのある目でそこにはいない誰かを見ていた。
それが私にとってどれほどの救いになったかは、多分気付かれぬままだっただろうなと思う。 一言のお礼を言う機会も無いままで。
ご体調が良くないらしい噂は聞いていたものの、5月に鬼籍に入られていたことを先ほど知った。 去年あたりから本当につらい訃報が立てつづけに届く。 「尊敬できる大人」がどんどん旅立ってゆく寂しさはこの歳になるまで全く分かっていなかったといま、気付いている。
3月。とある湖畔の道にて。羽根のような春の光る雪が薄雲から降り落ちてくる。
今でもあなたはわたしの光…です。
遅ればせながら、ありがとうございました<(_ _)>