mouratta’s blog

うっかり半世紀生きてきて自分がギフテッドとやっと気づいた私。

IQが高い…ということについての幻想

何でこのブログを始めたか…最初の記事は、こちら

 

IQという言葉について。

IQが高い、ということが「特別なこと」と捉えられていると感じます。 確かに、全体の中で少数、となれば「特別」と言えなくはないのかな。でも、その言葉は自動的にこんな感情を引き連れてきます。

 

IQが高い → アタマがいい → 大して努力しなくても成績が良い

→ イイ学校に入れる → イイ会社に入れる(高収入の職業につける)

→ イイ暮らしができる → 人生バラ色 良かったね~!

 

・・・ですが、ちょっと歯車が狂うとこうなります。

 

IQが高い →アタマがいい → 努力しなくても成績が良い

→ あ、じゃ~さ、努力なんてしなくていいよね(^◇^)

  そしてやがて「うさぎと亀」のうさぎとなるw

  明らかなうさぎ状態に陥らなければ往々にしてこう言われる。

→ 何なのアイツ、チョームカつくんだけど!!!

 

分かりますよ。 鼻持ちならないよねぇ。 実際、「努力」? 何それ?って感覚がありました。

 

肉体的な…100m泳げなかったのが頑張って泳げるようになったとか、上手くできなかった楽器演奏を練習してこなせる様になったとか。 それは分かるんだけど…勉強で「努力」って言われても…。

1,2回、本なり映像なり説明なりで習えば、興味があって必要と思うことはするっと覚えてしまう。 さらに言うなら、その状態で集中して教科書読んでいると「どこが問題として出されるか」判る。 だからテストというテスト、ヤマかけて、ほぼ一夜漬け。 そしてそれで平均以上の点数を取る。 コツコツやるとか、ホントに意味わからなかった。

 

で、全く出来ない数学については、それこそ何をやってもできないわけで、コツコツやったって出来ないもんはできないんじゃないの?としか思えない。 それって嫌われるわけです。 特に日本に於いて、絶対に評価されない。

大して興味のない授業中は、窓の外みて白昼夢してるか、寝てるかですからたとえ点数取ってもよくは言われず、点数のとれないものは責められる。 オマエハチャントシテナインダヨ!…です。

 

「嫌われる」まで言う?と思われるかもしれませんが、例えばこんなこと。 学生時代、とある資格試験を受けました。 それは3級から1級まであり、3級に受かれば2級を受験できる、2級に受かれば1級が…というシステム。 クラスほぼ全員が受けて、大体みんな3級合格します。どうせなら在学中に2級を!と、3級取った学生が申し込むのですが、実は2級になるとかなりハードルが上がってきます。 テキストの厚さ、倍以上。 で、日々の課題もこなしていかねば・・・ということで、ほとんどの学生が挫折します。 受験料も結構なものだし、受かりそうもないならや~めた、です。私は毎度のことで、試験前日に学校休んでカンヅメになればOK、と。

 

それに対して、やや自己アピールの激しいタイプの子が一人だけ、「私、絶対頑張るのっっっ!!!」と、これ見よがしにテキスト持ち歩き、一生懸命お勉強してました…正確にはしてる振りしてたんでしょうねぇ、だって結果落ちたから。  私は合格。

 

まぁそうだろうなとは思ってましたが、「カンニング」言い出しましたw「あんなに勉強してた私が受からないのに、なんであの人が!」です。 こんなことはしょっちゅうです。 だいたい、「アタマの出来が違う」と誰かが言いだして収束しますが。

 

努力しなくても軽々と(←見える)いい成績を取っていく。

それは基本、好かれないのだと、イヤというほど経験してます。

 

「私は努力ということができない、飽きっぽい、嫌なことからすぐ逃げる、出来ないわけじゃないけどやらない、そしてひねくれてて、ヤなヤツ。 性格の悪い、ほんっっっっっとに最低な人間。」

 

それが私。 

 

学校生活自体は楽しかったし、深刻にいじめられたりとかは無かった。友人もいた。 親友と呼べる友人も。 部活も楽しかった。 マンガも音楽も大好きなものが沢山あった。 日々笑って学校生活おくってました。

 

でもいつも孤独で、毎日毎日、どうやってこの世から消えるかを考えてた。だって「最低な人間」だもん。

自己評価が本当に低くて、そんな低レベルの人間だとバレないように必死だった。 バレたら人生終わり。 誰も私に目もくれなくなる。  生きててごめんなさい。

 

『役に立つから存在を辛うじて許されている、ということで、

 役に立たなくなったとたんにどこにも居場所は無くなるのだ』と。

それが拗れに拗れると、どっかで限界崩壊的な大変換が起きる。

 

「私は有能で、完璧で、ミスしません。あり得ないです、そんなこと。』

と、謎の高飛車様キャラが降臨するわけです。出来ない自分を心の奥深く沈めて、完璧なワタシの鎧で自分自身を固め、そしてそれが、固めた自分自身を追い詰めていきます。

 

IQが高い=頭がイイ と捉えるとしても、 それはアタマの良さが「全方位的であることを意味してはいない」のです。 よく言われるIQってのは、いくつかの内容のテストの「平均点」。

 

でも平均50点で、2教科それぞれ、60点と40点で平均50点と0点と100点で平均50点って、点数は一緒でもぜんっぜん意味違う。にもかかわらず、最終的な数値だけでくくられる。

 

IQの高い私=すべての能力が高い完璧な(はずな)ワタシ。

教科的なもののみならず、内面的…人格的なものまで含めて。

そう思い込んでしまったのは、あるいは、思いこまなければいられなかったというのは不幸なことでした。私にとっても、周囲の人々にとっても、です。

 

 

私は「ギフテッド」です。

そして「2E」と呼ばれるタイプです。

 

出来ることへの自信や誇りよりも、出来ないことについての劣等感がとても強く

結果、劣等感から目を逸らし、逃避し、自分自身をごまかし、

ゆがんで間違った「プライド」で鎧を固めていきました。 

それは、何一つ救いになることはなく、孤立を深めていきました。

本当に自分が、自分自身が、大嫌いでした。