mouratta’s blog

うっかり半世紀生きてきて、自分がギフテッドと やっと気づいた私。

子供の頃の記憶から・その3 食べ物について

 何でこのブログを始めたか…最初の記事は、こちら

 

好き嫌いは基本、ありませんでした。

…っていうか、

そういうこと許されるような時代でも家でもなかったです。

明治生まれの祖母がいて、戦争の、さらには終戦後の

食料はじめ何もかもが欠乏していた時代を経験した両親、

そして昭和の30年代、40年代なんて、まだまだ貧しかった。

「これキライ~!」なんて許されるはずもなくw

 

幸いなことに、母は料理の得意な人でした。

母方の祖母がそういう人で、料理にとどまらず色々器用。

叔父たちは戦中戦後の欠乏期に育ったはずなのに、

皆やたらに口が肥えています。

叔父の一人はフランス料理のシェフで、私は詳しくは知りませんが

ホテルに勤務していた頃は何度か宮様にお召し上がり頂いたそうです。

なので、たぶん腕は一流…と言っていいのかなと。

他の叔父もちゃっちゃと魚捌くなんて、お手のものです。

 

出来て当たり前、なので、私が一人暮らしを始めて初めての秋、

いきなり生鮭一本腹入りで持ってきて(筋子とか取らないそのまま)

「ほら、食え!じゃあな!」と帰ろうとするのを必死で引きとめ

捌いてもらいましたw 何故出来ないのかとすごく怒られたw

さらに出刃包丁が無いとは何たることか!信じられん!とwww

一人暮らしビギナーが出刃普通に持ってるものかね?(^^;)

お陰さまで今は鮭一本捌けますが、本音は生臭いし大変で嫌ですw 

 

さて、食べ物に話を戻すと。

 

我が家は母も資格をもってフルタイムで働いていたので

経済的にはかなり余裕のある家…と思われていました。

ですが実際は、同居の祖母のこだわり道楽に掛かるお金、

伯父、伯母、叔父の大病や不始末に対する援助などの支出が大きく

「豊かな」…どころか、毎月けっこう厳しい状況でした。

私も兄も、服を「着飾るため」には買ってもらえませんでしたし。

それでも、母の育った家の影響で、食べ物、食事については

当時としてはかなり多様でバランスが良く、豊かなものだったと思います。

 

そもそも祖母(母方)が、戦前の、辺境の田舎町暮らしにもかかわらず

婦人雑誌を購読し、「カレーライス」作ったり「マヨネーズ」作ったり。

食事には絶対に吝嗇しない人だったそうです。

衛生状態にもやかましかったらしく、叔父たちは軒並み「よその家」の

食事が食べられない人たちでした。 お互いの家でもお茶しか飲まないw

例外的にシェフの叔父が腕を振るったときと、ジンギスカンは食べる。

店屋物はOK。  あぁメンドクサイw

 

私も従妹もそういう所があります。

最近TVで「ちょっと素敵なお料理上手さん」的に紹介される人の中に、

いかにもTV映りを優先して、肩にかかるより長い髪をまとめずに

垂らしたまま平気で料理してる人を見かけますが、本当にやめてほしい。

小学校での調理実習風景でもそんな子を見かけたけれど、親は知ってるの? 

不潔と感じないのだろうか、あれ。 

とりあえず三角巾被ったらOK!とでも? 

髪ばさばさ出てるじゃん。

従妹と「この人の料理絶対食べられない」とかって話しています。

ああいうの、平気なの? オシャレ>衛生なの?

例えばエプロンしたままお手洗いに行くような人の作る料理、平気?

 

TVが嫌いなのはこういう「自分たちの影響力の大きさ」を

きちんと認識した対応をしっかり取らない底の浅さがあるから。

例えば温泉の湯船にタオル巻いて入るようなことして、

何の断りもないもんだから(最近やっとテロップ出すようになったけど)

家の風呂しか知らないような非常識人が同じようにして大迷惑とか。

他にもいっぱいあったけど、

「TVでやってるからOKなんだ」と思い込む、

あまりに単純なお子ちゃま視聴者が世の中にはいるものなのだと

ちゃんと意識して細かいとこで手を抜くな!と。

 

  

食べ物自体で苦手なもの、食べるのが苦痛なもの…は

飯寿司と言われる魚を米麹で発酵させたもの、あれは食べられない。

そして完熟の柿、あのデロデロ感で甘いってのはダメですね。

同じような感覚は、千葉のお土産で「生落花生を塩ゆでしたもの」

あれは生まれて初めて「…呑み込めないくらいキライ…(ToT)」と

涙ぐみそうになりましたw あの食感はダメw

好きな人は「美味しいのに~!」とおっしゃるんですけどねぇ…

 

好き嫌いはそのくらいです。 アレルギーはありますけどそれは別。

いやもちろん他にも…昆虫系なんかはイヤですが。

多分、子供の頃の「好き嫌いの許されない状況下でいろんなもの食べた」

「しかも基本、美味しかった」というのが影響したかと。

こうしてみると「感覚が鋭敏すぎて偏食な場合もある」というのは

私には当たらないようです。 

 

 

そしてやや長じて料理について。

 

母がフルタイムで働いていたので夏休み、冬休みなどの昼食は

小学校3年くらいからは自力調達でした。

同居の祖母は、前の記事で書きましたが、今でいう認知症の症状がでて

その頃にはもう

私には積極的に関わろうとしませんでした。

 

今のようにコンビニも無く、レトルトもカップ麺もまだ一般的ではなく。

袋入りのインスタントラーメンとか、パンとか、冷ご飯でお茶づけ。

やってるうちに、あれこれ工夫しだします。

 

小学校4年か5年、食パンにケチャップをぬり、スライスチーズをのせ

ガスコンロのグリル(魚焼き)で焼く、というのを作り始め

振る舞った友達に絶賛されたのをよく覚えています。 

この時のスライスチーズはサンドイッチ用で、「とろけ」ませんw

ピザなんて、見たことも聞いたこともない人もまだいる時代でしたが、

海外物の本とか、ドラマや映画で見ていたんじゃないかと思います。

そしてそういう些末なことを、しっかり記憶しているわけです。

 

その後、グラハム・カーの「世界の料理ショー」が放送されて、

料理への関心はさらに増しました。 調理の過程も「楽しいぞ!?」

ということに、この時点で気付けたのは本当に良かったと思っています。

とはいえ子供ですので、普段はせいぜい母親の手伝いをするくらい。 

でもそれが基礎になって、一人暮らし始めても困りませんでした。

 

逆に大きな街に出たので、今まで手に入らなかった食材が簡単に入手でき、

知らないメニューを実際に食べてみたりできるようになり、

新しい知識がどんどん増えて刺激になりました。 

今でもカマンベールやレアチーズケーキ初めて食べた時の驚きとか

ペリエを飲んだ時の硬水ってモノへのビックリ加減はよく覚えていますw

キウィ生まれて初めて切った時は感動した。 とても好奇心旺盛でした。 

 

カンの良い方はジンギや鮭の話題が出たのでお分かりかもしれませんが

私が生まれ育ったのは北海道、一人暮らしを始めた大きな街は札幌です。

開拓地らしく、食に関してもとても自由闊達な風土でした。

日本人愛用の調味料が「味噌・醤油」だとしたら、そこにいきなり

「バター」が加わるってのが北海道w 

近年はすっかり品薄で値段が上がり、昔のようにはいきませんが、

「とりあえずバター!」が共通認識w

 

多様な乳製品、洋風料理、エスニック料理、とりあえず何でもありw

当時は都内ですら珍しかった洋ナシとかも簡単に手に入りました。

いろんな国から来ている留学生に料理教えてもらったり。

 

一番ショック受けたのは、キャベツちぎってトマト適当な大きさに切り、

それを合わせたら、レモン果汁を搾りかけ、出来上がり!

という、ものすごくシンプルなインド人直伝サラダ。

(うそだろ~…(+_+))と思いつつ食べたらものすごく美味しかった。

ドレッシングって、何なのいったい!?と衝撃でしたw

しかもカレーにめちゃくちゃ合う! さすがだ!

そんなこんなで、今に至ります。

 

で。 結婚して、ダンナが会社の子をよく連れてきました。

もちろんあれやこれや作るのですが、

ものすごくビックリされることにビックリしました。

 

まず、電子レンジが無い。 要らないから。

私も働いていたら別だったのでしょうが、専業主婦になりましたので。

そして「出てくる料理がプロ並み」「お店みたい」…と言われる。

そりゃお世辞だろうとわきまえてましたが、他の家ってどうなの?と。

 

従妹も同じで、「料理が得意とか上手いって、どこからなんだろう」

という話をしたことあります。

「基本、レストランで出てくる料理をレシピ見ないで作れる…かな

 オーブン使ったりとか、なんちゃらかんちゃらのテリーヌとかw」

「だよねぇ」

「だから私も、料理上手って言われると、は?って思うんだよね…」

「あと、時間だよね。 そんなに時間かかんないじゃない、料理って」

「普段なら30~40分で全品出来るよね、長くても1時間?」

「たまに毎回2時間以上かかるって言う人いるじゃない」

「毎回?そりゃ仕込みの時間も加えてってこと?」

「いやぁ~…いわゆる段取り悪いっていうのかなぁ…」

 

この従妹はいとこの中で一番母方の祖母に似ています。

料理についてはお互いに食べて「美味しい」と思えるので

似たようなレベルだと思うのですが、彼女は色々な事情から

他の家の台所事情をつぶさに観察できる状態にいました。

なので自分や私のレベルは「上の方に偏った、やや異常レベル」

だと思う、と言っています。

 

実際、ほとんど一緒に育った血縁のない姉妹が

あまりに料理が出来なくて信じられないと言っていました。

「だから環境だけじゃないと思う。 持って生まれたものって絶対ある。

 私も(←従妹)もーらった(←私)もお祖母ちゃんの才能貰ったね。」

だそうです。

このブログを書き出してから身内のエピソードをよく思い出すのですが

祖母はもしかしたら「ギフテッド」だったかもしれないと感じています。 

色々な意味で突出した才能がある人でした。

 

扱いにくさも突出していましたがw 私の母が毒っぽかったのは、

間違いなく祖母にかなりの責任があると思われます。

 

料理は、段取りとか手順とかの合理的な采配や、

ちょっとした知識の有無が重要なので、

感覚鋭敏すぎての偏食などがなければ、

また、ギフテッドにやや多いとされているADHDの傾向が、

弱い、あるいはあっても上手く対応できてさえいれば、

得意な分野かもしれません。

何より、人様が幸せそうな顔をしてくれることがとても幸せです。

 

 

私は「ギフテッド」です。

そして2Eと言うタイプで算数障害を抱えています。

 

「ギフテッド」の人には時に感覚鋭敏すぎることが原因の偏食が

 現れることもあるそうですが、私の場合はほぼなかったようです。

好き嫌いはほとんどないのですが、幾つかある苦手なものは

どうしても食べられません。 

それは感覚鋭敏なのかどうかはよくわからないのですが、

完熟のデロデロに融けた柿は、確かに感触がイヤですw

 

料理を作ることは、好きで、上手いほうです。

夕飯の30~40分前からおかずを作り始めてほぼ間に合います。

まぁ、実際は間に合うようなものしか作らないんですけどw

特にメインは「出来立て」を出したいので、煮込みもの以外は

作り置きを温めて出すってのは少ない。

並行していくつもの作業をこなしていくのは

スリリングで楽しい時間です。