mouratta’s blog

うっかり半世紀生きてきて自分がギフテッドとやっと気づいた私。

遺伝か否か、思い出と、周りを見回してみれば。

何でこのブログを始めたか…最初の記事は、こちら

 

母方の祖母については、今となっては確かめようもないのですが、「ギフテッド」だったのではないかと思ったりしています。

母方の叔父たちもそれぞれに「ギフテッド」と言うわけではないけれど、異様に器用だったり、目から鼻に抜けるほどの理解力とかある人たちで、中には…もしかしてサイコパス…?とさえ思える人も一人いました。

もう鬼籍に入った人なので、そういう目をもって観察できないのが実に残念ではありますが。

 

いとこ(男女いるのでひらがなで)たちも、アスペルガーっぽいとか、私と同じようなギフテッドっぽいのとかいます。 全然そうじゃないタイプももちろんいますけれどね。

こういうのは最近になって「…そういえば…もしかして…」と発達障害等の特徴とされることなどの情報が入手しやすくなって思い当たったことです。

 

父方はそういうタイプではなく、努力による成績優秀者と言う感じ。

でも(父方の)伯父は句集を出版するほどの文系の人でしたし、父もそういう才能のある人でした。 言葉の選び方はそりゃあ見事でユーモアセンスもあって、何かの会の挨拶草稿などよく頼まれていました。  ひらめきタイプではないけれど、きちんと積み上げて問題解決を目指す人。

 

私は外見が父方そのものの風貌でしたので、国語がものすごく得意だったのはそちらの影響と思い込んでいましたが、どうやら内容の遺伝形質は、母方の影響が大きかった…というか妙にミックスされたようです。 

算数障害については突発的に出たのかなぁ…

父は一応理系範疇の仕事でしたから、算数障害があったとは思えない。

母方の叔父たちも、どちらかといえば数学得意な方です。

いとこも、兄も、私ほど極端に算数数学が苦手と言うことはありません。

 

発達障害の遺伝については、確実ではないとはしながらも、多くの当事者に(考えてみたら私も…)(思い起こせば私の親は…)という、何となく遺伝的に思い当たるフシがあることが少なくないようです。

生育の環境は決して無視できないことではありますが、成長の過程で脳の神経線維がどのように形成されていくか、胎児時代を含めて、それはやはり遺伝子の影響が大きいはずで…発達障害が脳の機能障害とされる以上、遺伝は否定できないと思います。

 

発達障害を例にあげて書いていますが、他の名称の症状、たとえば自閉症スペクトラムにせよ、学習障害にせよ、ギフテッドにせよ「脳の機能障害」という意味では表現型が異なるだけで、根源的なものはそう違っているとは私にはどうも思えません。

「脳の神経線維の構成」が遺伝子の影響を受けるものであるならば、ギフテッドもまた、遺伝的な要素の否定はできないと思います。

 

自分が「ギフテッド」であると認識して以降、様々なサイトにアクセスして読み漁ってきましたが、その中でとても違和感があったのは、「ギフテッド」はまるで「素晴らしい天才!」的な持ち上げ方をして、その他の発達障害自閉症スペクトラムなどとは「根源的に違う!」というような…何というか…優越的な存在である、と言いたげな記述を稀に見かけたりしたことでした。 

 

何度も書いていますが、私は医師ではなく、診断を受けたわけでもないので、「お前がギフテッドだという証拠はどこにある!」と問い詰められたら何も証明などできないあいまいな状況で(ここでちょっと笑いつつ)「本人が言ってるんだから間違いない!!」と言うしかないわけですが。

 

その「本人」が色々調べて感じたのは「ギフテッド」という言葉のイメージが本人以外のココロに起こすさざ波は、あまり好ましいものではない気がする、ということです。

 

さざ波、それは好意的なもの、反感的なもの、

その幻想、その虚像と虚妄。

 

私がずっと苛まれ続けていた、劣等感、孤独感、違和感、疎外感…このネガティブな感情は、そのさざ波に、ただただ奇異な目を向けています。

実際、初めてギフテッドという言葉に行き当たり、その解説を読み進んだとき、優越感とか、得意の絶頂のような高揚感はまったくありませんでした。

 

強いて言えば「……そうか、そうだったのか、だからか、だから私は…」今まで気づかなかったピースがふと手に入って、長いこと出来ずにいた複雑なパズルが唐突に完成した…そんな気分でした。 

腑に落ちた感じと解放感、が、私は一番強かった。

ただしこれは、私が2Eだったことの影響が大きいのかもしれません。

 

遺伝的な形質は、確かにあると私は思います。 ただ、家族の中ですべての構成員が「ギフテッド」ということは非常にレアなケースだと思います。 その結果、家庭内でも理解を得られず、ネガティブな感情にさいなまれ続けることがとても多いのではないかとも思います。

 

過度な肯定感や反感にとらわれず、ニュートラルに、自分自身の「ギフテッド」を冷静に受け止めることができたなら随分と「生きづらさ」は軽減するのではないかと感じています。

 

私は、それがやっとできた昨年まで、本当に生きるのがつらかった。

誰か、このブログをきっかけに自分のギフテッドを認識して、少しでも解放された気持ちになってもらえたら、嬉しい。

 

 

 

私は「ギフテッド」です。

そして2Eと呼ばれるタイプで算数障害を抱えています。

 

ギフテッドは遺伝か否かということについて私は、私の母方の祖母がそうだったかもしれない、と考えています。

同時に母方の親戚を思い出してみて、確かに遺伝的要素はある、と私自身は感じます。 

 

そして最近気づいたのですが、「ギフテッド」に過度な期待感や過剰な優越感めいたものを持っているのではなかろうか?と思わず危惧を抱くような記述のサイトをごく少数ですが目にしました。

それは、多分、ギフテッドの心を本当には癒しません。

優越感でどれほどプライドを膨らませても、張子の虎で、おそらくはいつも苛まれているネガティブな感情も同じように膨らみ拮抗します。ましてそこに「遺伝」が絡んでくると、結局誰も幸せにならない気がする。

そういう方向にだけは進んでほしくない…と願っています。