今週も「ギフテッド」ではないんだけれど。
きわめびと、土曜日の朝にやってるのですね。
お悩みをお持ちの方に、その道のプロが解決法を指南する、とのことで。
昨日は小学生の男の子のお母さんが
「子供がちゃんと宿題をやろうとしない」
「字が汚すぎて先生から『名前が読めないレベル』と言われる」
「注意しても叱っても言うことをきかない」
…とお悩みのようでした。
で。
最近よく聞く「コーチング」というスキルをお持ちの方のアドバイスで、まぁ、子供の話をちゃんと聴こう、否定的なことではなく肯定的な言葉で…っていうような行動をとるようにお母さんが動いてみたら、何だか良い方向に行きそう…(^o^) よかったなぁ♪
うん、それは良かったと思うよ、とっても良かったよね。
でも私がすごく気になったのは
「(書いた)名前が読めないくらいの字の汚さ」と、
「鏡面文字を書いている」ということ。
けれど、実はお母さんの行動をしっかり観察して把握していて、
それを具体的にきちんと言葉で言い表せている。 賢い子だなぁ。
…ディスレクシアっぽく感じるんだけど? と私は思ったわけです。
あの番組ご覧になっていた中で、私と同じようなことを感じた方もいらっしゃるんじゃないだろうか。
ディスレクシア(英語: Dyslexia、ディスレキシアとも)は、学習障害の一種で、知的能力及び一般的な理解能力などに特に異常がないにもかかわらず、文字の読み書き学習に著しい困難を抱える障害である。
難読症、識字障害、(特異的)読字障害、読み書き障害とも訳される。
1884年にドイツの眼科医ルドルフ・ベルリンによって報告され命名された。 顕著な例では数字の「7」と「seven」を同一のものとして理解が出来なかったり、文字がひっくり返って記憶されたりして正確に覚えられない、など様々な例がある。
ディスレクシアは学習障害の中で最も多い障害であり、世界すべての地域で確認され、人口の3-7%ほどに見られるが、それがハンディとなっているのは20%程度である。 男性のほうが診断率が高いが、男女で等しく確認されると言われている。
最終更新 2017年2月5日 (日) 11:04 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)
はい、あくまでWikipedia の記述ですからね、これが全て正しいとは限らないって認識は忘れずに。
4月24日追記
上記で「ディスレクシア」としていましたが、内容的には「書字表出障害(ディスグラフィア)」のほうが適切と思われます。
私自身がディスレクシアがディスグラフィアを含んでいると誤解していたためこのようなことになってしまいました。 申し訳ないです<(_ _)>
ディスグラフィアはじめ、LD(学習障害)の特徴はこちらのサイトに分かりやすく纏められていました。
(上記サイトより)書字表出障害(ディスグラフィア)の特徴
男の子に多く見られます。男の子の出現率は女の子の約3倍です。
・ 書くのが苦手
・ 鏡文字を書く
・ 文字を雰囲気で書く
・ 文字を書くのに時間がかかる
・ 漢字を覚えるのが苦手
・ 文字の大きさバラバラでマス目からはみ出る
…ということで、こちらのほうが当てはまるようですね。
迷ったのですが文章はこのままにしておきます。
この追記の後も「ディスレクシア」で書いていますが、
それらはディスグラフィアと読み替えお願いいたします。
私は医師でも研究者でもないので、「ですよ。」と断言などできない。
そのことはよく分かっているし、何より人様のお子さんに、なんちゃら「障害」という言い方を簡単には決してするべきではない、特に今の日本に於いては。 …とも思っています。
どんなに「良かれ」と思っても、軽く、単純な言葉ではないですよね。言われた側にすれば、まさに言葉の暴力になりうるほどのものだと。
番組を見ていた私がものすごくショックだったのは、学校の教師からすらも「もしかしてディスレクシア…」というような懸念の表意が全くなされていないらしい様子。
いやもちろん、もしかしたら、実は既に親と教師の間では話し合われているかもしれない。 番組として、趣旨から外れるので放送内容から外した可能性はある。 なので、こういう内容をUPすること自体迷ったのだけれども…
もし、もしも、
「(書いた)名前すら読めないレベルの汚い文字」「鏡面文字を書く」というのがディスレクシアの特徴として頻繁にみられるもの…という認識自体がまったくゼロで、思いつきすらしない周囲の大人たち。
努力すれば「ちゃんとできるようになるはず」(デキナイノハオマエガチャントシテナイカラダ)という考え方以外持ち合わせていない周囲の大人たち。
そういう大人たちしかいない状況の中で、もしも…もしも…あの子にディスレクシアの傾向があり、そういうことを全く考慮されずに暮らして、通学して、勉強しているなら…ものすごく辛くないかい?
あのお子さんがディスレクシアだと言い張るつもりは毛頭ないです。
ただ、ディスレクシアの特徴に当てはまることがあるので詳しい検査を受けてみませんか、もしそうであれば、別のアプローチをすることで今までよりずっとスムーズに能力を引き出して伸ばしていくことが容易になる可能性がある。 もちろん単に成長の過程として、文字認識が追い付かないとか、学年が進めば自然にクリアできることなのかもしれないけれど、検査してみて自分自身の学習傾向を知れるならそれは有意義と思う。
…というような持っていき方は、現場で普通になされてはいない? と、心配になったのです。
発達障害者支援法が、平成17年に施行されてから10年以上すぎ、昨年、 発達障害者を取り巻く状況の変化を受けて改正が行われました。
10年以上!
算数障害で全く数学ができないことを「お前が悪い」「怠惰だ」「我儘だ」「努力しないロクでなし」「どうなっても知らんぞ」…と、散々な言われようをされて、私自身はどっちかというと反抗的で強情なタイプだったから泣き崩れるようなことはしなかったけれど…辛くなかったわけじゃない。 そして結局は大人たちに言われたそのままに、自分自身を責めた。 責め続けて、自分は存在価値のない人間だと劣等感に苛まれてきました。
誰か…一人でも、
「あ~、それね、学習障害。 アナタが悪いわけじゃないよ^^」って言ってくれる大人が、もし学生時代にいたなら・・・(T_T)
今はもう、ふっとため息一つついて笑えるくらいになってはいるけど。
まさか、教育の現場ではいまだに私の学生時代のままの認識が罷り通ってる…とは思いたくない。
あれから最長で40数年、もうあんなつらい思いする子供、一人もいて欲しくない。
繰り返していうけれど、あの子がそうかどうかではなく、もしかしたら…と。 特徴の幾つかが当てはまるけれど、もしかしたら?…という認識を持って、どの子供にも注意深くまなざしを向けて欲しい、ということ。
それがディスレクシアでも、それ以外の学習障害でも、実は本人は「何故できないのかわからない」と全く認識できていない場合が多いと思うのです。 私がうっかり半世紀生きてきて、まったく気付かずにいたように。
Wikipediaを鵜呑みにするわけではないけれど、「人口の3~7%に見られる」ってことは、30何人のクラスには1人や2人いて当たり前ってことですよね。
今回、自分のこともじっくり振り返ってみると、あ、「D」のカーブが右側だったか左側だったかとか、アルファベットの「E」をカタカナの「ヨ」に書きそうになったりとか、「頭」の「豆」と「頁」のどっちがヘンでどっちがツクリだったかとか、「N」と「И」間違えそうになるとか、読みは問題ないのに、手書きだと書き始める前にほんの一瞬、混乱する。
手書きに限ってのことで、幾つかの決まった文字だけなのだけれど。
「著しい困難」ではないけれど、ディスレクシア傾向が私にもあるのかな?
何だか今日は文章にまとまりないなぁと自分で思うのですが、私には小学校とかの現状が全くわからないので、もしかしたら、実はもうしっかり体制は取られているのに私がそれを知らないがために、的外れなことを言ってるかも…と引っかかりながら書いているので、そのせいです(´・ω・`)
的外れなことでしたら、本当に申し訳ないです。
でも、そうなら、ホントのところは結構ウレシイ。
…的外れだったら、いいなぁ。 と、ホントに思う。