mouratta’s blog

うっかり半世紀生きてきて、自分がギフテッドと やっと気づいた私。

孤高を目指してなんかない…んだけどね^^;

何でこのブログを始めたか…最初の記事は、こちら 

 

 あ~・・・残念・・・

毎週日曜日に更新…するのを心がけたいと思っていたのですが、先週はついにDownしてしまって果たせず…(´・ω・`)ショボーン…

季節の変わり目への対応力があまり高くなくて、体調崩しがちなので、いつもはそれなりに気をつけているのですが、今回はちょっと下手を打ってしまったようで、う~む、クヤシイなっ!(-"-) 精進いたしますw

 

さて、 

Wikipediaの「ギフテッド」の記述内容をお借りして私の場合はこんなんでした…というのをぽつりぽつりと書いております。

ちょこちょこと進み、今回はギフテッドの抱えがちな問題について、今週で2回目です。 

 

「ギフテッド」についてWikipediaより精神的、社会的な問題についてを引用。 最終更新 2016年9月19日 (月) 06:12 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。 

孤立

ギフテッドはOE(前述)に起因する少し変わった行動をとる、同世代の子供達と精神年齢や興味が異なり話が合わないといった理由で、気の合う友達がみつからなかったり、他の子供から疎外されることもある。外界からの刺激を嫌うためや、人生をより真摯に受け止めるがゆえに内向性を持ち、頻繁に内省するために、ギフテッド自身が一人でいることを選ぶ場合もある。

 

OEに起因する「少し変わった行動」 と言われても…  本人は絶対「奇をてらおう」とかしてないと思います。 

て言うか、変わった行動とも思ってないと思います。

むしろ周りがそういうことにビックリしたりすると、ビックリされたことにビックリしますw 「え?そうなの?変なの?」です。

周りは実はびっくりしているのだけれど、大人の礼儀的に指摘しない場合、自分の振る舞いが「少し変わって」いるなんて気づきもせずにいたりします。

 

「精神年齢や興味が異なり話が合わないといった理由で」

これはもう…子供時代だけではなく、ずっとです。 そして多分、多くの場合、話が合わないのは相手ではなく自分が「オカシイ」と感じて自分を責める傾向が強いかもしれません。 

 

私自身は、特に青年期に興味が合わず、話が合わずということについて「何なのコイツらほんとにバカじゃね?」と思うことも多かったです。 このことは前にも書きましたが、会社のお昼休み、同僚の話す内容があまりに…昨夜のドラマの話を延々…ってのに耐えられなかったです。

 

同僚たちがバカだったというよりは、その頃の私に問題がありました。 自分自身の抱える強い劣等感を受け入れられず、自分の弱みを一切認めず「デキるパーフェクトなスバラシイワタクシ」鎧で精神的に武装することで自分を保っていました。 

立ち位置は常に壇上最上段w 当時まだその言葉は無かったけれど、今で言う「上から目線」思考。

ホント、厄介な人物でした。 

 

「コイツらバカじゃね」と思いつつ、実は自分が「オカシイ」んじゃないだろうかという深層の不安に常に脅かされていました。

それを認めてしまえばすべてが崩壊しかねないので、それこそもう必死で目を逸らしていました。 批判されたり、ミスを認めることが怖くて怖くて。 ちょっとでも何か指摘されるとものすごい勢いで反撃に出ました。 

一言で言えば「めんどくせぇ」人物です。 そりゃ疎外もされますわw 

 

特にギフテッド仲間の社会的ネットワークを持たない者にとって、孤立は一番の問題である。他人に好かれ、認められようと、ギフテッドの子供はしばしば自分の能力を隠そうとする。低達成児となったり、家族や信頼できる人といる時に使う高尚な言葉とは異なり、同級生といる時は簡単な言葉を使うようにするといった、本当の自分とは異なる姿を演じる[19]。これはギフテッドの女性に際立って見られる傾向である。

 

(^o^) 薬指長いです~w

何それ?とお思いかもしれませんが、胎児時代に母親の子宮内で「アンドロゲン・シャワー」を浴びることで「脳がXYに対応する成長傾向」へ舵を切るということが、現在、パラダイムとなっているようですが、その場合(アンドロゲン・シャワーを浴びた場合)薬指が(人差し指に比べて)長くなる現象が発現するとも言われています。 

要は男性(XY)っぽい脳。 そうは言ってもおしゃべりは好きだし地図読めないしw あくまで「っぽい」程度なんでしょうね。 半端やなぁ(T_T)

 

私はどうも女性らしい考え方はあまり得意ではないのですが、そのお陰で…なのかな「自分の能力を隠そうとする」ということはほとんどしませんでした。

そのため、当時はまだまだ根強かった男尊女卑的偏見で「生意気」「女のくせに」「出しゃばり」「怖い」「嫁にいけない」などなどw まぁ言われた言われたw 

こういうことを言うのは、大方私より「出来ない」連中でしたからたいして気にもならなかったけれど。 

でもダメージを受けないわけではありませんでした。 もし私のOE傾向がもっと強かったらキツかったかも。

  

一般社会において人は「ふつう」でなければならないという多大な心理的負担がある。ギフテッドやタレンテッドの人間は、変わり者という烙印を押されたり[20]いじめの対象になったりし、自己嫌悪や自己卑下する可能性もある。この孤立問題を解決するために、ギフテッド教育の専門家は共通した興味や能力に基づいたギフテッド達でグループを作ることを薦めている。グループに参加する時期が早いほど、孤立を避けられる[21]

 

そうですね。 「普通」でありたい、と思っていました。

ずっとずっと、自分は外れ者と感じて生きていましたから。 「ワタシハチャントシテナイ、ダメナコ」という気持ちが常にあって。

自己嫌悪や自己卑下は、それが当たり前でノーマルと思っているので、特にわざわざそうしているという自覚すらなかったです。 条件反射でした。

 

それでも歳を重ねるにつれ、社会の中で出会った人から学ぶ機会はあって、少しずつ…本当に少しずつではあっても、そういう考えから脱却していけました。

 

私にとって幸運だったのは、営業職に就いたことだと思います。 時には販売の現場に立って、お客様に応対をすることもありました。 様々な人と短時間であっても会話し応対し、学ばせていただくことがとても多かったと今は感じています。

 

幾つかはまさに「衝撃をもって」学んだこともあります。 

接客の中ではお客様を「褒める」ことは基本のキの字! もちろん単に「お美しい!」なんて、いかにもお世辞な褒め方は論外なわけでw それなりにテクニックが必要なわけですが…

今でも忘れられないのは、お客様のアクセサリーをお褒めしたときに、本当にごく自然に、でもほんのちょっとはにかみながら「ありがとう!^^」とお礼を言われたことがありました。 

ものすごい衝撃でした。 

だってそれまで「誰かに褒められたら全力で卑下して謙遜せねばならない!」さもなければ大変な失礼に当たる…と思ってましたから。

 

こんなに素直に「ありがとう…(^○^)」って言っていいんだ…!と。 そしてそういう対応をされることは、こんなに嬉しい気持ちになるんだと。

「心からそう思っている気持ちを素直に表現すれば、伝わる」ということを、その時初めてちゃんと受け止められたのだと思います。

 

それまで、他の誰かの話を「くだらない」「面白くない」「とっくに知ってる」そう思いながら「へぇ!そうなんだ!すごいね!」と対応することに慣れて、そして他の誰かにすごいね!とかって褒められたり感心されたりしたことは「そんなことも知らないのか」とうんざりする気分をおくびにも出さず「いやいや、偶然TVでやってたの見た」というように「自分は全然スゴクないです」と演じ続けてきたわけで。

 

でもそういう「演技」は、多分カンの鋭い子なら嗅ぎ分けると思う。 会ったのが一度や二度なら別だけど、学校や職場で長期間一緒となれば。

自分に心を開いてくれずに、上っ面の優等生的対応しかしない相手にはだれも本当の意味の好感は持てないだろうし、それが「いじめ」につながることもあると思う。 

いわゆる「鼻持ちならない」ヤツ、ですね。

 

私は幸い深刻ないじめに遭ったりはしなかったけれど、ほぼ孤立という状態が多かった。 

ぽつん、ではないけれど、無条件に群れている集団に属すということは無くて。 まぁ、そのほうが自分もラクではあったのですが。 

 

「共通した興味や能力に基づいたギフテッド達でグループ」…あったらなぁ。 ずいぶん楽だったろうなぁ。 

でも、今までの亀歩きみたいにノロノロと学んできたことが悪いとは決して思ってはいません。 自分自身の内面の成長度合いが満ちないと、同じメッセージを受け取ってもそれをどうとらえるかは大きく変わってきますから。

 

 

欧米にはギフテッド教育を施す私立校がある。アメリカ合衆国の場合、公立や進学校を含めた他の私立からギフテッド専門の私立校へ転校する子供も多い。専門私立校は公立のギフテッド・プログラムとは異なる選考基準を設けるところもある。卒業生がアイビー・リーグなどの名門大学に進む学校も多いが、ギフテッド専門校は進学校ではなく、あくまでもギフテッドである生徒のニーズにきめ細かく応えることができる学校である。そこでは、ギフテッドの子供が、本来の自分のままでいながらにその才能を最大限に咲かせられることを最優先にしている。ギフテッド専門校に通ってようやく話が通じる仲良しの友達ができた、「普通の人」を演じる必要がなくなった、というような広義の意味でのクオリティ・オブ・ライフ(人生の質)の向上に力を入れている。

 

 こういう環境が本当にうらやましい。

まぁね「私立校」ってことはそれなりに経済力がないと行けないということなのかな、それはそれでちょっとなぁ…とも思うけど、少なくとも教育現場にはそういう認識がしっかりあるということだもの。

 

自分自身を振り返っても、ずいぶん「こじらせて」いた部分はあって。 それはやはり、疎外感、孤立感、自己嫌悪、などなどのネガティブな感情が原因として大きいと思います。 

私個人的な話ではありますが、単純にギフテッドの特性というだけではなく、主に母親との関係性も影響してはいるはずですが。

 

お前は「チャントシテナイ、ダメナコ」じゃないんだよ!…って誰かに言ってもらえていたら。 

「仲間はいるんだよ」って…言ってもらえてたら。

 

私みたいにうっかり半世紀、こじらせタイプでうつうつと日々を過ごさずに済むんなら、いいじゃん。

社会にとって10年後、20年後に大きな財産になる可能性高いと思うんだけど。 教育現場での認識度合いを急ぎ向上させて欲しい! 切に願います!!!

 

 

私はギフテッドです。

そして2Eと言うタイプで「算数障害」を抱えています。

 

Wikipediaの「ギフテッド」項目を目にしたことをきっかけに自分がギフテッドであると認識しました。

Wikipediaの「ギフテッド」の項目に書かれていることが全て絶対的に正しい…わけではない…ということはきちんと踏まえつつ、その内容について、個々に自分はどうであったかをこのところ何週かで書き記しています。

 

今回は「孤立」について。

実際の生活の中での対人的な「孤立」だけではなく、本人の内面、精神的な孤立は、一見外からは分からないだけに、ギフテッドの心に大きな負荷をかけかねない問題だと思います。

 

OEの度合いなどが個人でそれぞれに異なるので、単純には言えませんが、私はやはり、人とのコミニュケーションのなかで学び、自分の認識を広げていくことが、その負荷を軽くするには大切な気がしています。

 

ですがまずはやはり社会的に、特に教育現場で「ギフテッド」についての認知がもっと広がっていくことを切に願っています。

 

そして、敢えて書きますが「ギフテッド」は、「天才」「優秀」「あふれる才能」といった、良いことだけではありません。

多くの場合、精神的な部分で人よりもずっと傷を負いやすく、その傷のダメージは長く尾を引きます。 

 

それをのり越えていく確固としたマニュアルは存在せず、壁にぶつかり、痣をつくり、時には爪を剥がし、泣くことすらも出来ずによろめき歩く、そんな思いをしている場合が多々あると思います。

本人たちにとって、「ギフテッド」は褒め言葉などではなく、自分自身への困惑から解放してくれるかもしれない薬…

傷薬、あるいは鎮痛剤程度のものなのかもしれません。