何でこのブログを始めたか…最初の記事は、こちら
今日UPしたのは5月24日付でUPしたものがあまりに長かったので分割し、加筆修正した後半部です。
先日(5月21日)NHKスペシャル『発達障害~解明される未知の世界~』を観終わった後、色々な思いが交錯しました。
番組では主に感覚過敏について取り上げられていましたが、それ以外にも発達障害には様々な特性があるわけで。
とりあえず、とっかかりやすいところを切り口にした巧さはかなり念入りな準備の上で臨んだのだなと感じます。
とにかく、こういう啓蒙はぜひ継続してほしい。
もっと、少しでも多くの方に知ってほしい。
発達障害と気づかずに、辛い思いをしている人が一人でも減ってほしい。
ワガママではなく、どうしても「出来ない」こと、「耐えがたいほどつらい」ことがあるのを理解してほしい。
それはつまりこのようなこと。
どんなに頑張っても、「普通の人並み」には全くなれないこともある。
努力はしているけれども、進歩は遅々として進まないことが多い。
困りごとの改善は、努力しても何年もかかることも多い。
努力はしているけれども、それが実を結ぶとは限らない。
そもそもどう努力すればいいのか、全くわからなかったりする。
「普通は」なんともないような音や光や匂い、手触り口当たりが、とても鋭く強烈に感じられて苦痛だったりする。
「普通は」当たり前に分かるとされている人の表情が、どんな感情を表しているかよく理解できないことがある。
相手の喜怒哀楽表情の判断をするとき「普通の人」とずれがある。
自分の内面の感情と表情の連動が「普通の人」とずれているので(無表情に見えるが嬉しく感じているなど)理解してもらいにくい。
言われていることと内容が合わないと理解できない。
冗談が通じない。 言葉通りにしか受け止められない。
皮肉、オブラートに包んだ物言いなどの本心が分からない。
文字が上手く書けない、
文字がすらすら読めない。
計算が出来ない。
…他にも様々なことがあるのだけれど…
「一人でも多くの人に理解して欲しい…」という気持ちには、まるで影のようにネガティブな思いも浮かび上がってきます。
必ず、こういう反応があるであろうと予想できます。
「なるほどね~、大変なんだね~」
「理解してくれ、かぁ」
「でもさ、こっちだってけっこう迷惑かけられてるんだよ?」
「そのことは理解してる?」
「発達障害だからって、それ免罪符に逃げてるんじゃないよね?」
「努力すれば何とかなるんじゃないの?なんで出来ないの?」
…とか
「発達障害?うんうん、知ってるよ。 こないだTVで見たし」
「え? あなたも? 発達障害? え~そうなんだ?」
「でもさ、こないだTVでやってたのと全然ちがってるよ?」
「学校にもちゃんと来てて、部屋そんなに散らかってないし」
「気のせいじゃないの?TVでやってたからそんな気分になってるとか」
「都合よくさー、何でも発達障害のせいにしちゃダメだよ」
「だって、あなた全然 普通の発達障害と違ってるよ???」
…とか
「理解して欲しい」というと、かなりの確率で
「私を気遣え! 思いやれ!優しくしろ!大目に見ろ!いたわれ!」
…と言ってる、言っていやがる、何様だーーー!
と、受け止める方が出現するのですが…違います。 そうじゃないです。
そうじゃない。 ただただ、あなたとちょっと違ってるの、分かってね。
(もしかして「何なのこの人(・.・;)」と思うようなことを 私がやってしまうかもしれないけれど、ワガママで言ってる(してる)わけではないんです。 あなたを不愉快にさせるつもりはないんです。
こういうこと克服する努力はしていますが、なかなか上達しません。
甘えだとお感じになるかもしれないですが、出来ればどうか「あ、そっか、ま、仕方ないんだな」と流して下さると助かります、
そしてできれば、私が上手く対応できるようなご協力をして下さると、 お互いのストレスも軽減すると思います、お手間かけます。)
・・・って様なこと考えてることが多いと思います。
もちろん、全ての発達障害の当事者がこうとは限らないのは分かっています。
今までさんざん振り回されて迷惑かけられてきたんだよ、とおっしゃる方は、そんなんじゃねぇよ、図々しいんだよ、甘えだよ、とお怒りモードな場合もあったりするんだろうとお察しします。
そして問題をさらにごっちゃごちゃにする要素として、発達障害を受け入れられない…当事者…の人たち。
本人はじめ、家族とか恋人とか上司や同僚とか。
私自身、そういう人物に直接会っています。
「我が子が障害者扱いされた!」と憤慨して怒りをぶちまけられたり(私が言ったわけではなく学校側から言われたことで怒っていました。憤懣やるかたないので誰か(←たまたま私)に話したということです)
「自分はすごく成績良かった!そんなんじゃない!」と激怒されたり(これは私のいとこ。素人目に見てもアスペルガー特徴がありありで、職場で人間関係が悪化するため居られなくなり職が安定しない)
まぁ…こういう反応なさる方は少なくはないと思われ…。
私自身この歳になって、さらに、自分で気づいたからこそこうやって落ち着いてるんだろうなと思いますもの。
もし誰かに「あなた発達障害だと思う」って、ロクに知識も無い時に言われたら…多分すごく拗らせただろうし。
それら全てをちょっと横に置いて、
本当に理解していただきたいのは、「普通」という概念に当てはまらず、苦しんでいる人がいるのです、ということ。
そして、図らずも、「あなたに」迷惑をかけてしまっていることがあるのだろうけれど…それは実は本人も苦しいのです。
が!どう対応すればいいか分からないでいることもあるのです、ということ。
そして・・・発達障害とされている人の特質は、一人ひとり違います。
自分も周囲も気づかない程度の軽めな状態もあるでしょうし、物心ついたころには既に相当辛い思いをするほど厳しい場合もある。
同じ診断名が付いていても、現れてくる特質は全く異なることも。
いやホントに、冗談抜きで
『普通の発達障害』
って、誰か言いだしそうで怖い(・.・;)
「普通」じゃないと感じてた自分が「発達障害」と認識し、それなりにホッとしたのもつかの間、そこでまた
「えー! 普通、発達障害ってそうじゃないでしょ?」
って言われた日にゃ、悪夢以外の何物でもないよね。
なんかシビアなギャグやる方がこんな台本書きそうだけど。
「普通」
その言葉の前に(ワタシの思う)と心の中で置くクセをつけようと思う。
昔、私の大嫌いな奴が
「みんな言ってる!」「みんなそうなの!」「みんな!みんな!みんな!」とぎゃあぎゃあ毎回うるさいし、もういいやと思ったので
「あなたの言う『みんな』って、誰のこと?」
と言い放ったら固まって黙ったw
それ以来一切関わることがなくなったけど、後悔は全くしてない。
でもある意味、「自分の言うことは「みんな」が賛同するはず!」と思い込んでいられるってのは、シアワセな人なのかもな。 どうぞお幸せに暮らしててください、ワタシから遠く離れたところでw
私は診断を受けたわけではないので確定はしていませんが、自分をギフテッドと認識しています。
ギフテッドというと、何かしら優れているものと考え、ある人はものすごい期待感で高望みし、またある人はふざけんなお前なんか全然違う、と攻撃体制に入り。
挙句の果てには「俺様こそがギフテッドだ。俺に従え」的なタイプも湧いてきたりするようなのですが、それら全て根本は、理解されていない・誤解されている、ということが発端と感じています。
当該者を含めてのことです。
私自身はギフテッドも発達障害に包括されるものと考えています。
まぁ所詮は素人のつぶやきではありますがね。
定型発達の人でさえ、「普通」は曖昧模糊としたものでそこに当てはまらない場合も多いはず。
それでも「普通じゃない」と責め立てるなら、そんなやつぁ、きらきらめいくあっぷしてやるぜぇぇぇ!。
私の中では、これが救いの歌となっております♪