mouratta’s blog

うっかり半世紀生きてきて、自分がギフテッドと やっと気づいた私。

つまりは極端が過ぎますの、ということで。

 

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20%の勾配はかなり極端。

なんでこのブログを始めたか最初の記事はこちら

 

梅雨入りした地域も多くなってきたのですね。

以前はそういうニュースも身近でしたが、北海道に戻ってからは遠い世界のお話しのような気がします…蒸し暑いのかなぁ…

ふふふ、札幌18℃。 半袖だと寒いわ。 どっちがいいのか決めかねますが。

 

さて。 

Wikipediaの「ギフテッド」の記述内容をお借りして、私の場合はこんなんでした…というのをぽつりぽつりと書いております。

ちょこちょこと進み、今回はギフテッドの抱えがちな問題について、今回で5回目です。 前回は「完璧主義」についてでした。 

今週はその続き。 「不均衡について」。

 

「ギフテッド」についてWikipediaより不均衡についてを引用。 最終更新 2017年4月24日 (月) 16:17 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。

wikiの特徴ですが編集・更新されて内容が変わっていくことが頻繁にあります。 以前書いている記事で引用しているのは、最終更新が2016年だったりしますので現在のものとは内容が異なっているかもしれません)

不均衡

ギフテッドの子供の成長はしばしば非同期である。精神の成長速度に肉体が伴わず、そのうえ認知や感情機能においても、一部が他の部分とは異なった発達段階にあることも頻繁に見られる。乳幼児期における認知発達の非同期性がもっともよく知られた例は、アルバート・アインシュタインであろう。彼は3歳まで言葉を発さず、その後 流暢に話し、完全に遅れを取り戻した。この点に関して、脳神経の研究者スティーブン・ピンカーは、アインシュタインをはじめ言葉が遅かったギフテッドが大人になってから達成したことは、幼少時の言語の欠損とは別物、欠損にかかわらず大成した、言葉の遅れという障害があったという見方はせず、むしろ天才的才能と言葉の遅れの共存は発達上本来あるべき形なのかもしれない、という理論を述べた

ギフテッドは、精神と身体、一部の感覚器官と他の部分における発達の非同時性という不均衡のみならず、秀でている得意分野と不得意分野、OE(前述)が強い分野と弱い分野という面でも不均衡である。人は誰でも不均衡であるが、ギフテッドは秀でた部分やOEの反応が通常より非常に大きいため、不均衡の度合いが大きい。不均衡という点では互いに共通しているギフテッドも、個人個人の違いは大きいため、エンリッチメント・プログラムなどなるべく個々人に合った教育環境が必要とされる。

 

・・・ということで。 いつものように文章細切れにして色々思いめぐらせていきます。

 

ギフテッドの子供の成長はしばしば非同期である。精神の成長速度に肉体が伴わず、そのうえ認知や感情機能においても、一部が他の部分とは異なった発達段階にあることも頻繁に見られる。

 

・・・要は、全ての能力が全方位的に同じようには成長しない、と。 そんなの誰だってそうなんですが。

ギフテッドの場合は、突出して高い得意分野と、そうではない分野の際があまりに大きいので理解されにくい…周囲にも、本人にも。

そしてその得意不得意などの違いが個人個人で大きく異なるため、なおのこと分かってもらえない。

 前回書いた内容じゃないですが「普通、そうじゃないでしょ」と言われることも多くありそうな気がしてならない。 いや、だから、「普通」って…

 

こういう場合の「本人」は大方「子供」なわけで。 まだまだ本人の周辺世界はごく狭くて限定的。

その世界の中の周りの反応を見ながら「どうも自分は違ってるっぽい」=「私はオカシイ」とだんだん拗らせていくことになるんだろうなぁ。

 

乳幼児期における認知発達の非同期性がもっともよく知られた例は、アルバート・アインシュタインであろう。彼は3歳まで言葉を発さず、その後 流暢に話し、完全に遅れを取り戻した。

 

これと同じタイプの人物知っています。

3歳まで「あーうー」で、単語の一つも喃語もほとんど話すことがなく、親はもう(この子は何らかの障害があると考えざるをえないと)覚悟をきめていましたが、3歳の前半に一気に話し始めました。

しかもその話は、幼児語や舌足らずはたまに入っているのですが(ぶーぶー・わんわん等)、ほぼ真っ当な構文の「文章」でした。(「わんわんにえさあげる~」と言う感じ)2語文すっ飛ばしw

その子は幸か不幸かアインシュタイン並ではありませんでしたが普通に学校生活を送り、社会人になりました。

ただちょっと自分にはアスペルガー傾向があるなぁと自分で言っています。

 

この点に関して、脳神経の研究者スティーブン・ピンカーは、アインシュタインをはじめ言葉が遅かったギフテッドが大人になってから達成したことは、幼少時の言語の欠損とは別物、欠損にかかわらず大成した、言葉の遅れという障害があったという見方はせず、むしろ天才的才能と言葉の遅れの共存は発達上本来あるべき形なのかもしれない、という理論を述べた。

 

いつだったか…TV番組で

「(人間の)脳には文字を認識する機能は元々は無い」というようなことをどっかの先生がおっしゃってました。

素人のつぶやきではありますが、そりゃそうだよな。 

「文字」が発明されたのはつい最近だもの。進化の過程で文字なんてありゃしない。 脳、対応しようが無い。

なので「形」を区別・認識する機能を文字に応用しているっぽい。 そしてその意味とか読みとか再現(書くってことね)するための機能に連動させているってな話をしていた記憶があります。

となると、「文字」ってけっこう脳に負担だよね。

連動が弱いと読み書きしんどくなるかも。

 

天才的な数学才能のある人が、本読み苦手とか、鏡面文字書くとか、割とよく聞く気がしますが、そういう部分は後からじっくり成長してくるってことなんでしょうか。

 

私は算数障害抱えてるので上の文章はあてはまらないのですが、以前養老孟司さんが国語的能力と数学的能力は「食い合い」だということを書いてらっしゃって…私は全部国語に食われたんだなと自分を慰めておりましたが。 

脳の接続がどんなふうに繋がっていくのか、どう発達するのか、これってやっぱり遺伝なのかな。 それとも神様のサイコロ遊び?w

 

 ギフテッドは、精神と身体、一部の感覚器官と他の部分における発達の非同時性という不均衡のみならず、秀でている得意分野と不得意分野、OE(前述)が強い分野と弱い分野という面でも不均衡である。人は誰でも不均衡であるが、ギフテッドは秀でた部分やOEの反応が通常より非常に大きいため、不均衡の度合いが大きい。不均衡という点では互いに共通しているギフテッドも、個人個人の違いは大きいため、エンリッチメント・プログラムなどなるべく個々人に合った教育環境が必要とされる。

 

そう。 誰も皆、不均衡。

何もかもが同調的に発達して完全な円を描ける人間なんて、多分いない。 それこそが個性。

でも往々にして「出る杭」に冷たい我が国。

そこで「個性」っつーか、あんた迷惑!(-"-)…ってくらいにまでその凹凸が激しいとなれば、そりゃぁ生きづらいわけでして…

 

それでもやっと発達障害についての認識が広まり始めているこの頃。 多分私よりも以前に、自分が何者なのかもわからぬうちに鬼籍に入った方々も多いのだろうなぁ。 寂しかったろうなぁ。

これから先、そういう思いをする人が、特に子供が、一人でも少なくなりますように…

 

私はギフテッドです。

そして2Eと言うタイプで「算数障害」を抱えています。

 

Wikipediaの「ギフテッド」項目を目にしたことをきっかけに自分がギフテッドであると認識しました。

Wikipediaの「ギフテッド」の項目に書かれていることが全て絶対的に正しい…わけではない…ということはきちんと踏まえつつ、その内容について、個々に自分はどうであったかをこのところ何週かで書き記しています。

 

今週は「不均衡」っつーかー…(と、ちょっとやさぐれていますが)「不均衡」じゃない人間なんていないって!

ただ、まぁ…はい、分かってはいます。

つまりは極端が過ぎますの、ということで。