mouratta’s blog

うっかり半世紀生きてきて、自分がギフテッドとやっと気づいた私。

似てる、近い、でも別なの? 結局、名前を付けて分類したい気持ちはどうしてもあるのよね。

 何でこのブログを始めたか…最初の記事は、こちら 

 

なんとも言えず、気持ちの沈むニュースが先日ありましたが…

自分が歳取るにつれ、自分よりお若い方が、しかもまだ幼い我が子を

遺して逝かねばならないというような状況を見聞きするたびに、

本当に…胸鬱ぐ思いになります。 

どうか安らかにおやすみ下さいますよう…

そしてこの後、遺されたご家族がメディアの心無い報道合戦に煩わされて

さらにお辛い思いをなさることの無いよう願わずにいられません。

 

 

さて。 

Wikipediaの「ギフテッド」の記述内容をお借りして

私の場合はこんなんでした…というのをぽつりぽつりと書いております。

ちょこちょこと進み、今回はギフテッドの抱えがちな問題について、

今回で6回目です。 前回は「不均衡」についてでした。 

今週はその続き。 「ギフテッドと他のタイプとの違い」。

 

「ギフテッド」についてWikipediaより引用。

 最終更新2017年4月24日 (月) 16:17 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。

wikiの特徴ですが編集・更新され内容が変わっていくことが頻繁にあります。

 以前書いている記事で引用しているのは最終更新が2016年だったりしますので

 現在のものとは内容が異なっているかもしれません)

 

 ギフテッドと他のタイプとの違い

ギフテッドの定義ひとつで、ギフテッド・クラスの選考基準が変わってしまう。たとえば学業成績で選別する場合、ギフテッドと秀才、成績優秀者は学力的に同じ位置にいる。しかしそこに到達するまでの過程、つまり学習方法や目的に違いがある。この2グループが混在したクラスについては、ギフテッドとは名ばかりで進学クラスになっており本当にギフテッドである子供の救済になっていないという反対意見と、ギフテッドの子供が自分と異なるタイプのグループと接することができる多様性のある環境は好ましいという賛成意見がある。

 

まさに…定義一つで。

 

いやまぁ、この「ギフテッド・クラス」というものが「ある」だけで

ものすごく羨ましい環境だと思うのですけれどもね。

ギフテッドで2Eではない場合、パワハラモラハラの要素がないような

詰め込みではない「進学クラス」ならば居心地はいいような気がします。

 

反対意見も賛成意見もそれぞれ「・・・まぁな、そうなんだよな」という

部分はどちらもあるのだけれど…

「救済」ということであれば、ギフテッドの特性について提示し、

自分自身でも訳の分からないこの劣等感やらなにやらを

「それ、ギフテッド。 あなたが悪いわけではないよ。」

ということを知らせてもらえるだけで随分救済につながると思うんです。

 

そしてその後に、どう苦手を克服していくのか。

とてつもない劣等感や疎外感や孤独感や無力感。

抱えがちな感覚過敏や2Eとされる学習障害など。

会話の続かなさなどからくるコミュニケーションの齟齬。

 

自身の特性をきちんと認識さえできていれば、

ギフテッドならばとりあえず「納得」は出来ると思います。

それがあれば克服のための問題分析や努力に対してのモチベーションを

維持していけるのではないかと。

少なくとも自分自身を責めつづけ、その反動で周囲にとって

「めんどくせぇヤツ」になる可能性はかなり減るんじゃないかしら。

 

別に「ギフテッドは優秀なんだから特別クラスを設けて英才教育をしろ」

みたいなことは(少なくとも私は)思いませんし、

それがいいこととも思いません。 正直そういうこと言いだすのは

「俺様こそがギフテッドだ!俺様に平伏せ!」という、なにか

カン違いしたタイプではないかと感じますし、そーゆータイプには

全くもって迷惑な気分になるばかりで。

 

ギフテッドに限らず「多様性のある環境」は好ましいと思います。

実際、本当に私自身の引き出しを増やし、その中に納まったものを

充実させてくれたのは、全くタイプの違う様々な人たちでした。

素直に受け入れられたことばかりではなかったし、

いやな思いも腹を立てたことも時には危険な目にも遭ったけれど…

…歳取ってみると、それらすべてが「人生に無駄なことなし」

と、つくづく、しみじみ思います。

 

 

上記の「救済になっていない」という批判意見には

じゃぁどうします?と問いたくなるのは当然の流れだと思います。

 

で、個々の特性が異なってる以上、救済になるかどうかは

その子の特性にマッチしてるかどうか、ということになるわけで。

そういう状況に臨機応変な対応ができればずいぶん変わるのではないかと。

臨機応変と言うのは、一度そこにハマったら、最低1年間再トライアルは

不可!というのは止めませんかね?というような意味合いです。

 

ただ、「救済」 ? 「救済」…されるべき状態なのだろうか…とも。

私自身はその言葉にはかなり違和感があります。 

訳語の問題なのかもしれませんね、「ギフテッド・クラス」がある時点で

日本のことではないような気もしますし。 英語なのかな、元は?

 

 

天才

知的好奇心という点でギフテッドと天才は非常に似通っているが、天才という言葉は奇行や変人、あるいは説明不可能なケースを漠然と表現する時にも使われる。一方でギフテッドは、客観的な学術知見・データに基づく診断結果とする意味合いが強いが、仮説である。これは、天才という言葉が「はるかに上」という意味であらゆる事物に対して濫用され俗語化しているのに対し、ギフテッドが教育学心理学で用いられる学術用語であることも起因している。

 

そうなのよねぇ…「天才」=「ギフテッド」ではないですよね。

そもそも「天才」という言葉がとても広がりを持って使われているし。

それに対して「ギフテッド」は上記のように学術用語の域を出てはいない。

そうは言っても、学術用語でありながら確立した定義がいまだない、

ある意味えらいこと厄介な「学術用語」だと思います。

 

私の勝手な感覚では「天才」ってのは意識の中に

「俺様は天才である!特別である!お前らの上に立つ存在である!」

って言うのが必ずあるようなイメージ。

「ギフテッド」はどっちかっていうと

「すいませんすいません私は変わり者です、私が悪いんですごめんなさい」

っていうのが必ずあるようなイメージ。

 

もちろん、これは私の勝手なイメージです^^;

今まで「こいつホントに天才だわ…(・.・;)」って人物とは

深く付き合ったことがないもので、何人かにちらっとかかわった時

なんとな~く感じたってだけなんですけどねw 

 

サバント

サバントとは、知能障害などを抱え、社会生活がきわめて困難である一方で、「一つの」分野で特異な能力を発揮する人間を指す。とくに、自閉的サバントは、自閉症ないし発達障害を持つサバントを指す。自閉症において、この語は1978年に「Psychology Today」紙で提唱された。元々は“Idiot savant”(イデオ・サバン)と言った。これはフランス語で「馬鹿な学者」と言う意味で、後に政治的配慮から単にサヴァンと言われるようになった(フランス語では“SAVANT”の“T”は発音しない)。知的障害を伴うが並外れた能力を持つサヴァン症候群を、原則的にギフテッドには含まない。ギフテッドのなかには2E(Twice Exceptional:二重例外)と呼ばれる、「ギフテッドであり、なおかつなんらかの知能障害を持つ人たち」もいるが、ギフテッドの定義が知能障害や精神障害を抱えていることを含んでいないためである。

 

サヴァン症候群」は例えばカメラアイとか、映画「レインマン」とか

メディアで目にする機会もあると思うのですが。

「(社会生活がきわめて困難なほどの)知的障害を伴うが」というのが

サヴァン症候群の定義の中に入っているので、2E、私のように学習障害

伴っているタイプでもその中に含まれないことになります。

 

私は漫画家の西原理恵子さんが大好きで、何冊かご本を持っています。

最近の作品で「ダーリンは70歳」があり、その中で、かの高須院長が

普通ならば読むのも苦痛じゃないのかこれは?…的な、相当な長文を

集中して一気に暗記してしまったエピソードを描いていました。

 

「かっちゃんってもしかしてサヴァン症候群?」

「うん、たぶんね~^^」

 

高須院長に社会生活が極めて困難な知的障害があるとは思えないので、

厳密には違っているということになるのでしょうが

アスペルガーっぽいとこあるのかな?そんな感じの描写も時折りあるし)

この、「うん、たぶんね~」がものすごく好きw いつか真似したい♪

 

この他にも出てますよ

 

 

 

定義のゆらぎ

たとえばアメリカの場合、ギフテッドの定義は州や学区によって異なる。純粋にギフテッドの生徒を対象にして、空きがある時のみ成績優秀者を受け入れる所もある。一般的に言って、予算や学級編成の都合があったり、ギフテッドが学力差別だと非難を受けている地域などでは、ギフテッドのかわりに、ギフテッドおよび成績優秀者、上級、優等、高能力、優秀といった呼称を与え、ギフテッドに限らず成績優秀者を上位から選抜していく学校が多い。学業評価で判定する場合は、生来のギフテッドであってもすくい上げられない生徒が出てくる。

また、ギフテッドという点を見落として学習障害児や発達障害児の診断を優先するケースでは、高い潜在能力を伸ばす機会を潰してしまったり、逆に学習障害発達障害を見落としてギフテッド能力に比例した達成度が見られないと診断され自尊心がひどく傷つけられるケースもある。このように学校の定義や審査基準、専門家の誤診断などによって、ギフテッドの学習環境が大きく変わる可能性がある。

 

 

「定義」は確立することは無いような気がする。

ただ…ただね、「ギフテッド」にせよ「発達障害」にせよ、

自閉症スペクトラム、その他の、とにかく何であろうとも。

「普通」のバンドに収まりきらないで辛い思いをしている、

特に子供…に対してのケアを真剣に考えて欲しい。

 

才能と呼ばれるほどの秀でた何かを開花させられるのは、

実はとんでもない幸運に恵まれたからなのかもしれない。

生まれた時代、国、地方、季節、家庭、諸々の環境、

たまたま読んだ本の一節、偶然目にしたTV番組。

巡り合えるのは、本当に奇跡のような。

 

私の子供時代にはギフテッドも発達障害自閉症スペクトラム

全くと言っていいほど情報などなかった。

「癇の強い子」と言われる中にそういう子も沢山いたのだろう。

「偏屈」とか「頑迷」とか言われる大人たちの中にも。

…辛かったと思う。 本人も、親も。

 

定義に合致するからとかしないとかで、篩から落とされてしまい

その後一切のケアが受けられない状態にだけはなってほしくない。

今でもまだ、残念なことに発達障害について深い理解のない教師が、

現場には多いのではないかと危惧されるのだけれど、

どうか、そういう状況から一日も早く脱してほしいと切に思う。

 

 

私はギフテッドです。

そして2Eと言うタイプで「算数障害」を抱えています。

 

Wikipediaの「ギフテッド」項目を目にしたことをきっかけに

自分がギフテッドであると認識しました。

Wikipediaの「ギフテッド」の項目に書かれていることが全て

絶対的に正しい…わけではない…ということはきちんと踏まえつつ

その内容について、個々に自分はどうであったかをこのところ何週かで

書き記しています。

 

今週は「ギフテッドと他のタイプとの違い」

「天才」も「サヴァント」も、「ギフテッド」も

少数派ならではの生きづらさはあるのだろうと思うのですが

「もしかしたら、こういうタイプなのかも?」という

知識があるだけでも、随分と心に受けるダメージは減らせるような気がします。

そういう認識が広まってほしいと心から願っています。