mouratta’s blog

うっかり半世紀生きてきて、自分がギフテッドと やっと気づいた私。

三連休でオリンピックで朝から雪で。

3連休と言われましても…

世の中のカレンダーと連動した生活ではないので

あんまりピンと来ないまま終了しちゃった(^_^;)

 

暖かい季節でお天気よくてってなら別でしょうが

寒いわ雪だわ、家から出たくありません(^_^;)

 

オリンピックは…

全国的にはマイナーでも、北海道に住んでると

けっこう馴染みのある競技だったりするので

関心はあるけれど…

今回は政治的な話がやたらに喧伝されているので

今一歩、パーーーーッと応援気分になれない。

ドーピングも何だかぐじぐじした気の晴れない話題。

でもそれぞれに競技に挑むアスリートの皆さま方は

本当に素晴らしいなぁ…と思います。

 

札幌にいるので一度は、と思ってジャンプを観に行き

TVで見るのとものすごく印象が違っていてビックリした。

あのスピード感と、「うわぁぁぁ!落ちてくるっ!」感は、

モニター通してでは完全には再現できないと思う。

 

その時は高梨沙羅選手優勝でした。 

今はすっかり大人びたけれど、

当時はまだまだ少女って感じで

こんな可憐なオンナノコがあんな風に飛ぶなんて

…(;゚Д゚)スゴイ!!!

と、ホントに驚きました。

銅メダル獲得、良かったねー!って素直に喜べる、

スポーツ(のみの)祭典であってほしい…。

 

 

 

今日は(っていうか、日曜日に)とあることで書こう、

と書き連ねていたのですが、ずんずん長く重くなりw

もうちょっと寝かせておこうと思った次第です(^_^;)

 

ことの発端は、とある方がとある大学で行った公開講座

ありがたいことにレポートを上げてくださった方がいて

目にすることが出来ました。

 

公開講座の中でおっしゃっていたという言葉が、

かつて私もたどり着いた、一つの結論であったので

あぁ、やっぱり。 そして言葉は大切、と

しみじみしたことでありました。

 

「理解する」ということと

「許す」ということは微妙に違います。

 

そう、違います。

私はもっと頑なで、生意気な言い方で、

「理解はしているが、許容は出来ない。」

そう言っていました。 その気持ちは今も変わりません。

これからも、多分変わらない…と思います。

 

具体的には、母親との関係性です。

母について、私自身がこの言葉に辿りつけたのは、

30代半ば…前半寄り…だったと思います。

人間関係を含めて、大きく環境が変わった時期でした。

 

当時は正直に言って、恨みがましい気持ちが勝っていた。

憎しみとまでは言いたくはないけれど、

無かったかと言われれば、ゴメン、無いわけではない、

そんな感じ。

 

今は…何というか、淡々としています。

「だよね~!( ̄▽ ̄)」って感じw

言葉の意味そのままを受け止めている感じ。

それ以外の、怒りや恨み、憎しみの感情は、

ゼロではないけれど、納まったというか。

沸々と湧き続けるような感覚はほぼなくなりました。

でもたまに突沸することあるんですけどねw

 

 

 

「ギフテッド」に関して、

Wikipediaの記載をお借りして、自分なりに細々と

かみ砕いて書き連ねてきました。

最後の部分は日本にギフテッドが浸透しない理由などです。

これは読み解くというようなものではないので

ちょっと扱いづらいなぁ、と思いながら寝かせております。

ふふふ、ホントはね、飽きたのよwww 自分で分かるw

ま、そのうち、気が向いたらその項書いて、wikiから脱却し

自分自身がどうだったか、ということに立ち戻るつもりです。

 

 

その時、避けて通れないのが、母親との確執です。

今、この年齢になって思い返して初めて、

その全体像が浮かび上がってきたと思います。

渦中にいる時は、俯瞰は難しい…というか、無理。

過ぎたる年月の有難さでしょうか、

歳取るのもそう悪いことばかりでもないですね。

 

母だけを責めるわけではないです。

「理解はしている」ので。

 

その「理解」の中に、自分が「ギフテッド」だ、

という要素も加わりました。

母にしてみれば私は・・・育てづらかっただろうな、

と思います、ホントにw

 今よりももっともっとずっと

「母ならばこうあるべき!」な呪いは強固な時代だったし。

 

私は母について、理解出来た(不完全でも)と考えていますが

母は私について、最後まで理解できなかったと思います。

ごく断片的には出来ても、全体像として受け止める、

そういうことはとうとうできずに逝ってしまった人。

 

それは、私の子供時代から延々と続けられて

私に大きな影響を与えたことです。

数年前までは、単に心理学的なアプローチのみで

考えていたことでしたが、「ギフテッド」要素は

どう絡んでいたのか、そのことを

自分自身で深く考えていきたいと思います。