mouratta’s blog

うっかり半世紀生きてきて自分がギフテッドとやっと気づいた私。

7年目…

やはり今日は7年前のあの日について

思い出さずにはいられない。

 

あの日私は九州の久留米にいた。 

しばらく前から数カ月滞在していた。

色々ややこしいこともあるお土地柄ではあるが、

かなり特異的で、私みたいなタイプには興味深い街。

 

全国の水天宮の総本宮があり、

ブリヂストン城下町は有名だがその他にも 

アサヒコーポレーションムーンスター

梅の花、クロボー製菓なんていう有名企業がぞろぞろ。

 

東芝創業者の田中久重(からくり儀右衛門)。

画家の青木繁、 漫画家の松本零士

音楽関係ときたら鮎川誠、藤井フミヤ松田聖子

演劇関係はこれまた松重豊、吉田羊、田中麗奈

変わったところでは元オウムの有名な彼とか

著名な出身者は書ききれるような数ではない。

 

医師の数が人口当たり国内トップクラス、

豚骨ラーメン発祥の地、焼鳥店数人口当たり日本一、

焼鳥に限らず、食べ物は総じてうまい。

水もうまい、お茶も八女が近くて美味い。

私はここの豚骨は全く食べられなかったが

(なぜか麺からアンモニア臭がする)

調理素材も外食もほぼ不満はなかった。

 

不思議なことに男性はそうでもないけれど、

女性は例外なく顔立ちが整っている。

露骨に言うと、不細工がひとりもいない。

正直、あか抜けないので目を引かないが(ゴメン<(__)>)

東京出て1年もしたら天下無敵だなってレベル。

久留米に於いて吉田羊クラスは決して稀ではない。

あれでみんなに化粧とかビシッと決められた日にゃ

私はホント、あの街にいられなかったと思う(-_-;)

 

そして「その筋の方」の結構な存在感。

私はヒマだったので日中とにかく出歩いていたのだが

住宅街の中で時折りとんでもない豪邸で、

同時にとんでもない警備過剰で…

一体どこから入るんでしょうこのお宅?的なw

防犯カメラ何台設置してるんだろ?的なw

そんなお宅を何軒か興味深く観察させて頂いた。

 

ま、面白い街でした。 

数カ月の滞在中、とうとう退屈しなかった。

そして2011年3月11日は

久留米にとってどういう日だったかというと

九州新幹線 開業前日

 …だったのです。

 

街じゅうが浮かれて華やいでいましたよ。

セレモニーのリハーサル、花いっぱいの飾りつけ、

改札口も真新しく、横断幕があちこちにかけられて、

せわしく何かを持って飛ぶように歩く人たち。

 

あぁ、こういうお祭り騒ぎも良いもんだな、

みんな嬉しそうだな、明日が楽しみだな、

ウキウキした気分のおすそ分けをもらって

ホテルの部屋に戻って、TVをつけた。

 

 

怒涛の真っ黒な水が、畑を飲みこみ進むさま。

瓦礫と化した家が炎に包まれて浮かび流されて。

あの時の気持ちは今も忘れられない。

 

 

時間が経つにつれ久留米でもニュースが広がり

楽しげだった街の雰囲気が塗り替わっていった。

日が暮れるころには、新幹線の開業は既定通り、

しかしセレモニーは全て(おそらく全てだと思う)

中止となった。

 

おらが街を新幹線が、明日、新たに通る。

そんな出来事は、ほぼ一度きりだろう。

盛大に祝いたくなるのは当然の感情で、

それを直前に反故にされるとはなんと理不尽な。

 

でもそのことを嘆く者も怒る者も

あの時、あの街で、私はついぞ目にしなかった。

ただ、皆押し黙り、黙々と片付けに入っていった。

夜は暗く、歓楽街もひっそり、心なしか空気が重かった。

 

 

私は基本的には自分でうんざりするほど

ネガティブで人を信じないタイプ。

昔に比べて随分ましにはなったけれど、

性根の深いところで、それは無くなりはしない。

 

それでも、あの日、地震の揺れがこそりとも無い

あの久留米で、見知らぬ誰かの無事を、安全を、

祈り願っていた悲しみに沈んだ人々のことを思い出す。

人って、そう捨てたものでもないよね。

そういう希望を持たせてくれたきっかけの一つ。

 

 

7年。 まだ道半ば。

被災なさった全ての方々、

どうぞ御身ご大切に…。