「スプリング・エフェメラル(春の儚いもの)代表のエゾエンゴサク」
ぺっちゃんこというわけではないですが、かなりダメージ受けてました。
「ギフテッド」ということについて認識して以来2年が経ったことと、Wikipediaの「ギフテッド」項目の自分なりの読み解きがほぼ終了したこともあり、今後は自分自身のことについて、特に母親との関係性について、拗らせた要因を探っていこうと考えておりましたが、いざ書き出してみると、いやぁ…自分でそれなりに「落とし処」に着地させていたと思っていたのは、実は全然違ってたのでありました。
単にフタしてただけ。
騒いだところで何の解決にもならないし。
騒いでる自分を嫌悪するし。
何より思い出したくない。
愕然としました。
自分なりに「ケリをつけた」…と思って20年以上経った。 乗り越えた、と思って10年以上。 そんなに長いこと自分自身を騙しつづけてたのか。 こういうときに暴れることが出来るなら、もう少し楽なのかもしれないですが、岩を抱え込んで水底に沈むようなタイプなのでなかなか浮上できずにいました。 書こうと思っても進まない。 向き合うことが本当にいいのかどうか、それすら迷う状態になっておりました。
ちなみにこーゆー
「岩を抱えて水底に沈む」タイプが浮上するには
1.岩を捨てる。
2.岩を抱えてもなお浮上できる力をつける。
3.誰かに引き上げてもらう。
…かな。
3つ合わせ技で今日まで来ているけれど、2でやってるより1や3の比重が自分で思ってるよりも大きかったってことかなぁ。「自力が弱い」ということにすら気づけてなかったっぽいですね。 ぼーっと生きてたってことか。 自覚しろと思いましたね。
(ちなみに誰かに助けてもらうのが一番楽だろとお考えの方は、たぶん元々自ら岩を抱えて沈むタイプじゃないです。成り行きで岩抱えちゃったんだけどさって感じ? 人様に助力を乞うのが最もハードル高いってタイプが一番、岩抱えがちと思います。)
自分の抱えていた岩が全て母親由来ということではありません。
全て母親のせいにするわけでもありません。
でもやっぱりとても大きかった。
母親について。「理解はしているが許容は出来ない」 そう考えることで辛くも応対することが可能でした。 それでいいだろうと思っていたのですが、「許容できない自分」を自分自身で許容していないようです。
いつかそこを超えられる日が来るのだろうか。 超えたいものだとは思うけれど。
前回のメモ書きにもならないような記事で「ミシン踏んでます」と書きましたが、寝かせていた生地でショルダーバッグやらエプロンやら巾着袋やら、次から次へとがーーーーーっと作ってちょっとスッキリw
やっぱりモノ作るって、イイですね、無心になれたのかな。
時間はかかるかもしれませんが…「超える」ためにそろりそろりと歩き始めたいと思っております。 だってねぇ。 うっかり半世紀生きてきて。
…残り時間はそう多いわけじゃないのよね。
さ。 頑張って…ミシンかけよっと!(おい!そっちかよ!)
ミシン掛けもですが、一番力をくれたのは冒頭の写真の花。
カタクリとかこのエゾエンゴサクとか。 早春にぱっと現れて、瞬く間に消えてゆきます。 子供の頃、毎日のように遊びに行った裏山のてっぺん近く、日の当たる開けたところに群生していたのですが、いつまで見ても見飽きないほど美しいブルーで、私にとっては桜よりこっちの方が春の使者です。 スプリング・エフェメラル。 春の儚いもの達。
人間だって、そんなものかも。