mouratta’s blog

うっかり半世紀生きてきて、自分がギフテッドと やっと気づいた私。

いつの間にか10月。 義父を見送っての様々も、もうすぐ落ち着きそう。

 

 

9月末から数日、東京に行ってました。

義父の葬いに関わることで、これで大きな節目は終了…です。

何だか気が抜けちゃって。 

燃え尽き症候群ってほどではないけど、ぼーっとしてます^^;

 

東京に向かった日は「今夜台風来るよー、上陸するよー、逃げてー!」の29日。 飛行機も西へ向かうものは欠航が相次ぎ、都内の電車も夜には運航中止することが発表された日でした。

千歳に向かう前から飛行機飛ぶのか、揺れるんだろうな、引き返すかな、なんてビビりましたが、ほぼ定刻でたいして揺れもせず、ただ羽田に降りた時にはもう雨がぽつぽつ降りだしていた。 

 

モノレールで浜松町。 今まで訪れたなかでおそらくもっとも空いてた。 私が浜松町に初めて行ったときって、ちょうど東芝の社屋の入る浜松町ビルを建ててたか建ったかの頃。 その頃でもペデストリアンデッキを通行する会社員がひっきりなしで、モノレール乗り換えのために通路をななめに突っ切るの大変だったの。 当時は今ある便利な乗換え通路ありませんでしたし、もちろんICカードもなくって、いちいち切符買って…いまは本当に便利になったなぁ。

 

お昼を食べたお店では店員さんがレジ打ちながら「今日は午後8時以降、電車が止まります、ご存知でしょうか?」と声をかけて下さった。 こういうお気遣いは本当に有難いです。 このお店のランチタイム人気メニューのトルコライスが大好きでーす♪

 

そこからホテルに向かうまでに電車の窓に打ちつける雨がどんどん強くなっていき、途中の駅ではニュースでよくあるようなどしゃ降りになって。 駅直結のホテル選んでて良かった…。

 

夜中の雨音と強風。

窓は閉まってるのにサッシのごくわずかなすき間からピーーーーーッ!と風切音が頻繁に鳴って、そのたび目が覚める。 20年近く本州で暮らしたけど、ここまでの台風は覚えがない。

それで言えば北海道だって、昔は台風被害なんてほとんど気にせず居られたのに、もはやそういうわけにはいかなくなってきましたからねぇ。

 

そして翌日は台風一過、10月だというのに30℃超え…北国育ちにはツライ…やれやれ。 移動のために乗った電車は線路になのか架線なのか、障害物撤去とのことでややしばらく止まったり。

 

 

義父が他界して。 

本当に有難いことに、入院も施設入居の費用も、そして葬儀、実家をたたむ費用までご自身の貯えでまかなうことができた。 さらに残った分は子供たちで分けて…そうねぇ、冷蔵庫と洗濯機新調しようか? あとは…ちょっと贅沢なお宿に泊まれるかしら…お父さん有難うございます…というくらいになるかな。

私は言わば部外者だけれども、多分一番手が空いてる人間なので、相続のために謄本取り寄せ、遺産分割協議書作成し、遠縁の方たちに報告のお手紙を書き、ご遠慮申し上げたにもかかわらず頂戴してしまったお香典の返礼品を手配し…そういう諸々も、間もなく終わる。

 

何が有難いって、残った子供たちが遺産分割の件で一切もめないこと。

逆に「ね、この経費お兄ちゃんが出してるでしょ、それちゃんと取って!ダメだよ自分だけ多く出すのは! そして札幌から何度も来てたんだから交通費とかホテル代とか、その分取って!」なんて気を遣って下さる。 横で見ていて思わず泣きそうになる。 50代、60代になっても仲の良い兄弟って、いいなぁ。 そしてそこに混ぜてもらえているのは何て幸せなんだろうとしみじみする。

私の親を送った時も、兄との間ではもめなかったので有難かったのだが、それは親密さではなく…乾ききって凍てついた結果としての静寂で。

 

まぁ世の中みてるとお金が絡んだ瞬間こじれてしまうこと多し…そう書きながら、これがもし何億もの不動産やら美術品や宝石やらなんて遺産だったら違う?なんて思ったりw でもやっぱり「人として」どう?なのかなぁ。

この歳になると友人知人の相続話の苦労を聞かされることも多い。 もちろんウチ同様すんなり終わる方々も沢山おいでなんだけど。 

 

で、気の抜けた私が書きたいこと。

 

高齢の親御さんがおいでなら、認知機能が衰えないうちに、

預貯金、保険、不動産、借金、カードなどの情報しっかり聞き出しておく方が良いですよぉ。

一時けっこう話題になった「エンディング・ノート」贈るのおススメ。

 

コクヨ エンディングノート もしもの時に役立つノート B5 LES-E101

コクヨ エンディングノート もしもの時に役立つノート B5 LES-E101

 
星の王子さま エンディングノート
 
My Life これまでとこれから 自分史年表+エンディングノート

My Life これまでとこれから 自分史年表+エンディングノート

 

 親だけに書けって言うとカド立ちかねないから、自分が書くので一緒に書こうと誘うとか。 いや、冗談抜きで社会人になったら年齢にとらわれず書き始めるくらいの気持ちでいた方が良いと思う。 いい備忘録にもなるし。 そうして親御さんの休眠してる口座は解約して整理しとくとか。

 

 

あと、親の出生から現在に至るまでの戸籍謄本、出来れば「原戸籍謄本」ってやつ取り寄せておいた方がイイ。 戸籍も何度か改正されているんですが、そのたび不要な情報はカットされるので、遡って辿るのが難しくなったりする。 取り寄せた謄本は、基本的には本番には期限切れで使えないから一見無駄に見えるけど、あるとすごくスムーズ。

原戸籍(除籍)謄本は1部¥750(2018年10月現在)と、それなりにかかるのですが、例えば専門家に依頼したらそれプラス料金かかるわけで。 

そして案外面白かったのは、ルーツが知れるのです。

「ファミリー・ヒストリー」ごっこできますw

 

親(亡くなった方)の「出生から死亡まで」の戸籍謄本。

そして自分が子供と証明できる「親子関係が確認できる」謄本。

 

生まれてからずっと同じところに住んで、本籍も動かしておらずという方は楽なのですが…

私のような北海道生まれで祖父母は本州から移動してきたとか、義父のように若い時に東京に出て、そこで結婚し家庭を築いて、落ち着いたのを機に新居に本籍を移したって人は面倒。

 

ウチで言うと、父はずっと本籍を本州に置いており、かなりあとになって終の棲家と決めた住所に本籍を移動した。 

で、その時兄はすでに結婚して自分が戸主の戸籍に移っていたため、新住所を本籍とした実家の戸籍には記載されていない…ので、その謄本では親子関係証明には不十分…大丈夫ですかー眠くなってませんかー? 私はうんざりしてますよw …で、本州にあった旧本籍の自治体から謄本取り寄せなきゃならなかった。 そしてこれからは、親の世代でも離婚再婚は珍しくなくなってくるだろうし。 

 

つまり、親が亡くなって戸籍揃えようと思っても結構大変。

 

まず、いま住んでるところから取り始めて、記載の旧本籍の役所へ問い合わせる。 そしてそこへ直接行ければいいけれど、郵送で請求となると、こんな風。

 

…の前に。

平成の市町村大合併で、本籍の自治体はすでに消滅してたりする。 

ナントカ郡ナントカ村、今どこですかそれ?から始まることも多い。

ネットで調べることが出来るのは本当に助かりました。 

特にこちらのサイトは有難い。(ぜひ著作権への考え方もご一読なさって下さい)

www.benricho.org

 

☆該当自治体のサイトから請求用紙ダウンロードするなどして入手。

☆用紙に記入。

☆自分の身分証明書(現住所確認できるもの)コピー。

☆返信用封筒(自分の住所氏名記入・返信切手貼付)用意。

※2018/10/18追記:上記の「返信用封筒」について。 

自分の住所記入の際は、一戸建て以外は建物名も必ず記入しましょう。 

建物名の有無で、1~3日ほど到着が遅れることもあります。 

これは、例えば1条1丁目1番という住所の中には複数の建物があるわけで、1条1丁目1番-101 mouratta宛て…なんて表記の場合、あて名に建物名が無ければ…1番地の中にある建物すべての101号室の中から、mourattaどこー?と探さねばなりません。 マンション、アパート密集地の場合はホントにかなり時間がかかる。

☆郵便局で「定額小為替(ていがくこがわせ)」買ってくる。

☆該当自治体に必要事項記入した請求用紙、身分証明書コピー、返信用封筒、定額小為替を郵送し、待つ。

 

 定額小為替は郵便局でなければ買えない。 郵便局でも土日や夜やってるゆうゆう窓口では買えない(ゆうちょ銀行扱いなので)。 平日に郵便局に行くしかないので結構メンドクサイ。

 

往々にして土日が挟まって滞る。 そして。

 

「おっしゃってる内容だと謄本は2部ありますので手数料が足りません、定額小為替をあと〇〇〇円分送ってください。」とか、

「謄本が多いので重くて返信用切手が不足です、送ってください」とか、

「この請求された本籍は、ウチの市ではありません。」とかって

…役所から電話が来る。

 

死亡した事が記載されている謄本は「除籍謄本」として別になってることもあるので請求し忘れたりするのです(←ワタクシやらかした)。 

事前に担当部署に電話かけて、あるいはメールで問い合わせて「相続に必要な謄本は何部あるのか」を聞いてから定額小為替用意するってのがおススメです。

最近は役所の方でも「死亡までの連続した謄本なら、ウチの市で〇〇通あります、で、その前に他の市でもあるようですね。」「結構枚数あるので重いから、切手多めに貼ってください。」と教えてくれたりするのだが、定額小為替で金額ちゃんと送らないと、当然ながら手配してもらえない。 

 

「ウチの市ではありません」は、昔の住所の場所は目と鼻の先の距離。 そのあたりは複数の市町村が合併して新しい市になったので、同じ市だろうと思いこんで手配したら違ってた!とか(←ワタクシやらかした)。

 

なんだかんだで全部そろえるのにほぼ1カ月かかりました…^^;

最新の謄本から前本籍を辿って、その「ナントカ郡ナントカ村」は今どこなのー?を探して、次にその市役所の住所調べる。 

メンドクサイのは市町村合併で、例えばA村、B町が合併してC市になりました。 今までのA村の役場、B町の役場はそのまま出張所として住民に対応します。 でも戸籍関係は、新たに建てたC市市役所の市民課がぜーんぶ担当するよ!なんて場合。

昔の戸籍辿るとA村の本籍だから、A村の役場(現出張所)に書類郵送すると「戸籍の請求はC市役所の市民課にして下さい!」なんて言われちゃったりする。 自治体住民なら対応するのだろうが、他所さん相手にそこまではなかなかw

 

 「多分一番手が空いてる」私で約1カ月なら、仕事しながらやらなきゃならない方は大変だと思う。 辿るための手間は結構かかる。 手元に謄本があれば調べることが激減して、ラク

 

実際、ウチの父は生前に自分で揃えていたのでものすごくスムーズだった。 でも母の時はいろいろ大変でした。 母は子供の頃樺太(現サハリン)へ、父(←私の祖父)の仕事の関係で移動していたのですが、戦争で樺太の戸籍ってほとんど失われたのです。 

その分は欠落するので「戦争の影響でその戸籍は失われた」ってことを外務省に証明してもらわねばならない(これが樺太ではなく北方四島だと「日本固有の領土」なので内務省の管轄なんだそうだ)…とか。

 

私は今回義父の謄本取り寄せることで、最も古いものは明治の頃にさかのぼり、改めて日本の戸籍制度ってすごいなぁと感心した。

同時にこの形式だったらどうしても、封建的社会制度や旧来の家制度を維持したがる思想になるわなそりゃ、とも感じた。

 

何言ってるかよく分からないって方は、一度祖父母や曽祖父母の原戸籍謄本と、最新の自分の謄本取り寄せて比較してみると分かるんじゃないかな。 遅遅としてではあるけれど、この国も「個人の尊重」という方向に歩みつつはあるのよね。 いやもっとさっさと進めろよ!何やってんだよと切に思うけどねw

 

とりあえず、

親の旅立ちの備えを促すのは、相続引き継ぐであろう自分のため。

具体的にはエンディングノート書いてもらうとか、あらかじめ謄本とって保管しとくとか。

そして、

台風の備え、台風が来た時の対応の予習、しっかりしときましょう!

 

ぼーっと状態が継続中のmouratta、今日はここまでで<(_ _)>