mouratta’s blog

うっかり半世紀生きてきて、自分がギフテッドと やっと気づいた私。

色々「問題」はあるのだけれど。 

何でこのブログを始めたか…最初の記事は、こちら 

 

Wikipediaの「ギフテッド」の記述内容をお借りして

私の場合はこんなんでした…というのをぽつりぽつりと書いております。

ちょこちょこと進み、今回はギフテッドの抱えがちな問題についてです。 

 

 

「ギフテッド」についてWikipediaより精神的、社会的な問題についてを引用。

 最終更新 2016年9月19日 (月) 06:12 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。

精神的、社会的な問題

OE(過度激動)に起因する問題

ドンブロフスキは、強いOEを持つ人間は最高にハイな気分とどん底に沈み込む気分両方を味わう可能性があり、決して楽な人生ではないことを表して、OEを「悲劇的なギフト(天からの贈り物)」と呼んだ。

 OEが強い場合、周囲のあらゆる刺激に過剰に反応してしまい、所属する集団から浮いてしまうことがある。例えば、感情の起伏が激しいことから気分屋、知覚が鋭く些細なことで不快になってしまうことから神経質、といったレッテルを貼られる(ラベリング)。また反応が表面化しない場合でも、普通であるべき行為が心から自然にできない、相手の感情・欲求・反応などを考えすぎるあまり行動に一貫性がなくなる、などの対人距離、反社会的反省に常に駆られ、状況を満足に楽しめないケースも多い。逆に、感情や五感への刺激を避けるために敢えて集団から離れていると、今度は人付き合いが悪いと非難される。それらの状況下で感じるあらゆる気分的うつ(慢性のうつ病とは異なる)や自己嫌悪といった否定的な感情も、OEゆえに必要以上に増幅され強く感じてしまうため、逃げ場を失う危険を内包する。

 

これは個人差が大きいし、状況に左右されることも多いと思います。

時代性もあるかなぁ。

「最高にハイ」も、一体どこが最高点なのか、どん底が一体どこが底なのかw  その渦中にいる時より後になってから分かることのほうが多そうな…私のことで言えば、「最高にハイ」…う~む、「ハイ」ってのがなぁ…

「ひゃっはーーーーっっっ\(^o^)/ !!!」 と、我を忘れるほど…ってことはあんまりなかったw どん底は、ホントに沈み込みそうになるほどの絶望感ってのは何度か…ありました。

 

 10代の頃は「気分屋」「神経質」と言われることも多かったですね。 相手に合わせようとするあまり、自分の気持ちを後回しにしすぎて、でも結局は疲れちゃって上手く人間関係を構築できないことも多かったです。

ぽつんという状態にはそんなにならなかったけど、分かり合える友人はごく…ごく少数でした。 あからさまにはしませんでしたが、陰鬱な気分が普通な状態でした。 「何で私はこうなのかなぁ…(..)」って感じをいつも持ってました。

でもそれが他の人よりも強いとかまでは思ってなかったです。 みんなこんなもんだろうと思ってたんです。

 

逃げ場を失う…かぁ…。

どこにも逃げ場はない → どこに逃げたって結局一緒

…と考えたのが結果として良かったんでしょうか。 そうじゃなければ、ちょっと生きていくのが辛すぎたかもしれませんね。

 

 

気分的うつ

ギフテッドと慢性うつ病自殺との関連性は、科学的には未だ証明されていない。レイスとレンズリの研究では次のように述べられている。「著述や視覚芸術に優れた独創的なギフテッドである青少年を除いては、ギフテッドの人間も一般人もうつ病に関する違いはない。ギフテッドは知覚能力が発達しており、他人よりも敏感で発達社会的に孤立し、発達状態にもむらがあるため社会的、精神的な問題にぶつかる。しかしながら、彼らのもつ高い問題解決能力、ソーシャル・スキル、倫理判断、学校外の事物への関心、達成感といったものが助けとなっていると思われる」[16] また自殺率についても、ギフテッドとの関連性はいまだ証明されていない[17]

しかし、ギフテッドの人間が気分的にうつ状態に陥ることが多いことは、過去から広く認知されている。死の終局、個人個人の根本的な存在、人生の意味や意味の欠如といった抽象的な心配ごとが引き金となり、他人より不安を感じやすいという性質もうつ状態に拍車をかけている[18]

 

確かに気分的にうつ状態に陥ることは多いと思います。

これは本当にうつ病と診断されてつらい思いをしてらっしゃる方から見ればちょっと落ち込んだだけで何言ってんの、そんなもんじゃないのに!とお叱り受けるかもしれないですが…そうですね、「気分的にうつ」っていう言い方がちょっとなぁ。 「メランコリック」と言った感じのほうが近そう。

他の人にすれば「何をそんなに」というようなことで、ものすごく気分が落ち込むことがあります。

「死の終局、個人個人の根本的な存在、人生の意味や意味の欠如といった抽象的な心配ごとが引き金となり、他人より不安を感じやすい」

あ~これ、あるあるですw とくにこの「人生の意味」とか「意味の欠如」とか。 まるでギリシャ時代の哲学者に憑依されたがごとくwww

 

時折り思い出すのですが、私とほぼ同年代の岡真史(おか まさふみ)…君。 彼は12歳で自ら命を絶つのですが、それが1975年のことでした。 当時は10代の「子供」が自殺するなどとは社会通念上まったく考えられていない時代で、その後ご両親によりノートに書き記されていた彼の詩が「ぼくは12歳」として発表されました。

 

「何故だ。 どうして12歳の子供が自殺などするというのだ!?」

という世の中の「分からん」大人たちのあれこれ言う空虚な言葉を見ながら、「歳関係ない。もしかしたら私だったかもしれない。」と、口には出さずにずっと思っていた出来事でした。 私はおそらく彼はギフテッドだったろうと考えていますし、そう考えると彼がその年齢で自死(ご両親は自殺ではなくこの言葉を使っています:ご両親のお気持ちは理解は出来るのですが、当時まだその言葉は社会的には認知されておらず、ほとんどの場合自殺という表現でありました)を選んだのは…彼にとっては「拍車がかかった」末の、「逃げ場を失った」結果だったのかもしれない…ですね。

 

  さて。

 この後「孤立」という項目に入っていくのですが、あまりにエピソード記憶があふれてしまい、無駄に長くなっちゃって収拾がつかないので来週まで練り直そうと思います^^;

孤独感は…ホントに長いこと、とてもつらいことだったので。

・・・つい、とめどなくなっちゃうのよねぇ(´・ω・`)

ではまた。 

 

私はギフテッドです。

そして2Eと言うタイプで「算数障害」を抱えています。

 

Wikipediaの「ギフテッド」項目を目にしたことをきっかけに

自分がギフテッドであると認識しました。

Wikipediaの「ギフテッド」の項目に書かれていることが全て

絶対的に正しい…わけではない…ということはきちんと踏まえつつ

その内容について、個々に自分はどうであったかをこのところ何週かで

書き記しています。

自分自身でも認識しきれていなかった特性が分かったこともあり、

結構自己把握にはいいかも…と思ったりしています。