mouratta’s blog

うっかり半世紀生きてきて、自分がギフテッドと やっと気づいた私。

宛名のない漂う手紙のようなもの…一人暮らしを始めたあなたに、かもしれない。

何でこのブログを始めたか…最初の記事は、こちら 

 

 今日の書き込みは、特に「ギフテッド」についてというわけではありません。

ただ、新たな環境に身を置く方の多い時期…大きく報道された高橋まつりさんの過労自殺を巡る報道には胸が痛みました。大手であろうと「ブラック企業」でないとは言えない。そのことについて危惧する中、自分自身でも認識しにくい「追い詰められた」状態について書いてみたいと思いました。 長いのですが、順を追って読み解いていただけたらいいなぁと思っています。 ホントのところ…この記事が「お役に立つ」ようなことは無いようにと強く願いつつ…(-_-;)

 

 

4月、新生活スタート!てな方、たくさんおいででしょうね。

私もむかしむか~しのこと、思い出します…( 一一) ←遠い目w

 

やはり進学や就職で親元を離れて一人暮らしって

ホントあれこれ大変ですよねぇ…まぁ、その大変さって

いろんな意味で「親」や「家族」「実家」のありがたさってのが

身に滲みてわかるチャンスでもありますが。

 

今まで気づかなかったけど、「誰か」がちゃんとやってくれてたんだ…

ということを「ありがたいことだったんだな~…」って、

心底から思えたら、

それだけでもうかなりの成長度だと思います。

 

自分の世界は、自分の力だけで成立していたわけではない。

目に見えないところで、誰かのお陰で成り立っている。

そういう認識こそ「大人」の第一歩だと思うのですよね。

一人暮らししたから自動的に大人になるわけじゃないですね。

 

 

中には冗談じゃない、ウチは最悪の毒親で、やっと逃げ出せたんだ、

解放されたんだぁぁぁぁぁぁ!って方もおいでかも…(+_+)

 

それはそれで、今まで自分の置かれていた状況を改めて認識して

その中で受けてきたダメージを如何に癒していくかが

自分の新たな一歩になると思います。

 

いきなり話が飛ぶようではありますが、

最近よくDV被害者について「なぜ逃げないのか?」という疑問に

ざっくり「逃げられないのだ」という回答がよくされているのを

ネット上でもTVなんかでも見かけるわけですが

そういう状況に置かれたことのない人には、

それってまったく理解しがたいことだと思います。

でも、本当なんですよね。

 

私自身はDV状態に陥ったことは幸いなことに無い…わけでもないかw

DVというと夫婦、という印象が強いですが、

DVのDはドメスティック。 

「家庭内」という意味なので夫婦とは限りません。

親子もありうるのですよね。

 

父親には…たまに…という頻度で手を上げられていましたし

(ただ、父の生きた年代や昭和30年代40年代って時代性を考えれば

それを単純にDVというカテゴリーに入れていいものかと迷うわけですが)

祖母は今でいう認知症で、被害妄想が強く、常に私を犯人扱いしました。

そしてそれを認識していながら、何年も何の手立ても取らなかった母の、

限定的ではありますが精神的ネグレクト。

 

私は、小学校の高学年にはすでに

「どうやったら自分自身にケリをつけられるか」考え続けていました。

 

疎外感、孤独感、劣等感、様々なネガティブな感情で自分を責めていて

こんな自分には生きている価値はない、と常に思い続けていました。

 

いまではそれが「ギフテッド」の特徴の一つと理解できたので

そういう辛さからはかなり解放されましたが、

上記のような家庭環境だったので、まぁ当然のように、

私の陥っている「メランコリック」はその状況によるものと

思い込んでいたわけ・・・ではありません。

 

別の言葉で繰り返します。

 

その状況(祖母・親・家庭)が原因だ、とは

これっぽっちも思っていませんでした。

 諸々のつらい事柄。 それは私が悪いから起こること。

私が原因。

すべて私が悪い子だからこうなるので、私はガマンすべきなのだ。

 

・・・と思っていました。

というか、思うとか考えるどころではなく、

意識すらしないレベルで当然のことでした。

 

それはまさに「呪縛」です。

自分では全く意識せず「当然のことと受け入れて」います。

なので、様々なDV…肉体的な、精神的なことを

堪らなく辛い、と感じていながらも、逃げられない。

 

そして、「子供」という立場だと、

親から、家庭から「逃げ出す」ということは容易ではありません。

ある意味DV夫婦よりもっと深刻です。

 

その状況に身を置き続けると、大きなダメージを受けます。

暴力による身体的なものはもちろん、精神的なダメージも。

精神的ダメージの大きな問題は、後々になってから、いわゆる

トラウマが原因となって社会生活の中で問題が起こってきたときに

本当の原因がつかみにくいことだと思います。

 

 

私のことになりますが、20代半ばまで、

相当「生きるのが辛い」日々でした。

 

自分が学びたい教育を受け、望んでいた会社に入社でき、

状況に恵まれ、新入社員としてはあり得ないほど華やかで重要な仕事、

給与の手取りも同年代より群を抜いて高かった。

(ただし今で言うブラック的勤務でした^^;

 入社後、3カ月間、土日祝日一日も休みがありませんでした。

 その後、休日は守られるようになりましたが、残業はすべてサービス。

 退社時刻は午後8時以降が当たり前、11時過ぎもよくありました。)

そして、人間関係が最悪w

学生時代も決して良かったわけではありません。

ぽつん、ではなかったけれど、一定の距離を置くことが多く。

ただ、学生時代なら、めんどくさい奴とは距離を置く(お互いにw)

で済みますが、社会人となるとそうはいかない。

 

その関係の悪さは「私が悪いんだ…」がベースでした。

昨夜のTV の話しかできないくだらない連中と蔑みながら

実は本当は「ワタシハチャントシテナイ。ダメナコ」だと

心の奥底ではわかっていて、でもそれは受け入れられない。

 

疎外感、孤独感、劣等感、様々なネガティブな感情で自分を責めていて

こんな自分には生きている価値はない、と常に思い続けていた、

小学校以来ずっと大嫌いな自分。

それだけに、それだけは認められない。 

認めたら自分自身のすべてが瓦解します。

 

そうではあっても時には「なんで私はこうなんだろうなぁ…(´;ω;`)

と思うこともあるわけで。

 

その時に引っ張り出してくるものは、

認知症の実の祖母に罵倒され続けた日々の記憶です。

あんな日々の中で成長すりゃ、そりゃ歪むよな、と。

怨もうにも恨めないです。 だって病気ですからね。

落としどころに上手に納めるには、私はまだ若すぎました。

 

当時は今のように何でもかんでも「トラウマ」というようなことは無く

そもそもその言葉自体、ほとんど知られていませんでしたが

私は高校の頃には心理学の専門誌を読んでいたので

自分の性格のゆがみをその「トラウマ」のためと捉えていました。

深く考えれば色々としっくりこない部分もあったのですが、

ムリヤリ当てはめていたわけです。

ですがある日。

 

社会人になって…3年目に入ったころだったでしょうか。

友人と食事に出かけた先で、唐突に

「違う。 祖母のことが問題ではない。

 祖母の私への仕打ちを全て知ったうえで何の手も打たず

 苦しんでいる私のことを全く助けようとしなかった母への怨嗟だ。

 そして実の母にすら助けてもらえなかった私。

 それは私は何の値もない屑だから母は私を見捨てていたのだ。

 と、私は心の底では考えていたが、気づかないふりをしていた。」

という結論が、まさに「降ってきた」ように脳裏に浮かびました。

 

別に友人とそういう関係の話をしていたわけではありません。

っていうか、全く関係ない話だったと思います。

強いて言うなら、話し相手がその友人だったから、かもしれません。

彼女は、唐突にボロボロ泣き出した私を驚きもせずに気遣い

(ビックリはしたと思うのですけどね^^;)

じっくり話を聞いた後で、

「おめでとう。 あなたは、今、自立したのよ、多分。」

「そういうことを受け止められるまでに、強くなったの。」

とはなむけの言葉を贈ってくれました。

 

正に「はなむけ(餞)」の言葉でした。

そこから、私自身を立て直していくきっかけとなる出来事でした。

進むのは近い道でも、単純な道でも、平坦な道でもなかったけれど、

自分自身に向き合って、徐々に自分の弱さを認められるようになり、

ネガティブな感情を少しずつ、解放していきました。

長い時間がかかりました。

10年でも足りない。 もっとです。

 

今は、本当に自分の内面を理解するための決定的なパーツを

欠いたままだったため、不十分だったのだと分かります。

そのパーツは「ギフテッド」でした。

そういう意味では、本当に解放されたのは、ほんの2年前…です。

解放されたといっても、何十年の澱はそう簡単には澄みませんけどw

 

長い私語り申し訳ありませんでしたが、

その時私にその考えが「降ってきた」のは、

友人が言うように「それを受け止められる強さ」が備わったため…

ということもあるのでしょうが、もう一つ、

「呪縛が解けた」ということだとも思います。

 

実は私の身近に、DV被害者だった女性が何人かいます。

その女性たちの結婚前、結婚している間、離婚後、そしてその数年後。

割と頻繁に会っているのですが、明らかに「呪縛されて」いました。

それが解けるまで、その人とその置かれている状況にもよりますが

数年… 解放されてから数年はかかっています。

逃げて、離婚が成立し、関係を断ててから数年。

そうなるまで、なんとも言えない違和感のようなもの…

まるでロボットのような感じがするのです。

 

笑い、泣き、怒りもするのですが、何というか…人間ぽくない。

それがある時、白黒映像が突然カラーになったような変化を遂げます。

これはその経年変化を見ていないと分かりにくいことだと思います。

 

 

さて、今日は一体何の話なのかな?とお思いかもしれませんね。

言いたいことはただ一つ。

 

 

大手広告会社で追い詰められ、自らの命を絶った新入社員だった女性。

他にも、あそこまで大きくは報じられなかったけれど

いわゆるブラック企業の中で自分自身を壊されていく若者たち。

 

 

「ありがたいこと」に対して

「大人として、社会にそういうことをお返ししていきたい」

「誰かの役に立ちたい」

そういう気持ちを持てる大人になってほしいと私は思っています。

 

でも同時に、その気持ちを悪意を持って利用し

「社会人なんだからこんなの当然」と、

育てるためではなく、搾取するためにあなたを追い詰めていく企業、

そういう組織は残念なことにやはり存在するのです。

万が一、そういう所に身を置いてしまったら、逃げてください!

 

っていうか、自分では逃げられなくなってたりするんです。

今まで長々と書いてきたことは、そういうことなのです。

 

 

就職して数カ月、半年、一年。

学生時代の友人に、できれば会って、話をして下さい。

もしも奇妙に感じたら、周囲に助けを求める先があるのだと教えてください。

そして告発してください。

もちろん、捏造は犯罪ですよ、それはダメだけどw

でも、戦いを助けてくれる人たちはいます。

諦めず、生き抜いてください。

 

 

そして、そこから脱却できた方々の中に…

心身に大きな傷を負い、苦しんでいらっしゃる方もおいでかと思います。

すべての方が、ではないけれど、そういう多くの方が

ご自身を責めておいでです。

 

違います。

 

あなたは弱虫でも役立たずでも使えねぇヤツでもありません。

サバイバー(survivor)です。

生き残ることができた、生存者です。

 

しかしながらサバイバーには、さらに辛いことに 

サバイバー症候群と呼ばれる状態に陥る可能性があるということも

指摘されています。

 

ですが、生き残ること。

あなた自身を生かすこと。

 

それはとても、とても大切なのだと信じてください。

ちゃんと、ご飯食べてください。 栄養取ってください。

脳は大飯喰らいなのですよ。 栄養不良だと、気分が不安定化しますよ。

そして、元気が出てきたら、

誰かに手を差し伸べてください。

誰かの力になることは、あなたにとっても癒しになります。

それがどんなにささやかでも、あなたのしたことが、誰かの助けになる。

その時は気づいてもらえないかもしれないけど、

いつか、その誰かは「ありがたいことだったんだなぁ」って

きっと思ってくれる時が来ます。

 

 

きっと、社会って、そんなふうに巡って、

少しずつ良くなっていくんじゃないかと思う…

というか、私はそれを願っているし、

振り返ってみたら、たぶんそれは、正しい。 と感じています。

 

すべてのことはつながっていて、

大きな流れの中にあり、

善きことには、善きことが巡り帰ってくる。

そういうことを願っていると

そういうことを目の当たりにしたりする。

それも、私にとっては幸せなことの一つ。

 

どうか、ワクワクした気持ちが実を結ぶ人生を

あなたが歩んでいけますように。

 

来週は、一人暮らしを始めたら、

これ、備えておいたほうがいいかも。

…ってことをちょいと書いてみようかな。