
『虹のかかる風景』フリードリヒ
各地から桜の便りが聞こえてくる季節ですが、今朝ゴミ置きに行ったときは粉雪が舞っておりました。 それでも今年の雪解けは早い。 今日もプラス気温で融けそう。
いつも雪が「とける」の漢字に迷う。
「ゆきどけ」は「雪解け」。
では雪は「解ける」なのかというと、う~む。「融雪剤」なんて言いますし「融ける」? それとも「溶ける」? あぁメンドクサイ。
「融ける」をよく使いますが「解ける」もOKだそうで。 たしかに雪国に住んでると、雪解けは縛りを解かれるような感じはします。
さて、昨日札幌地裁でとても心に響く裁判の判決が出ました。 全国ニュースでも取り上げられたので、ご存知の方も多いかと。
こちらには判決文全文を。
私自身は異性愛者ですが、社会人時代はアパレルメーカー勤務で、いわゆる当時ゲイ、あるいはホモセクシュアルと称される人たちが同僚として働いていることは普通のことでした。 今で言うカミングアウトしている人も多く、休憩時間には普通に恋バナしたり。
もちろん特にオープンにしていない人もいました。 だからといってどうということもなく。
業務の中には商品をカタログ化したり、雑誌に掲載とか、時にはファッションショーを行うこともあり、プロのヘアメイクの方たちが頻繁に本社には出入りしていて、その中にも同性愛者の方は多かった。
なので、誰かが今で言うLGBTQに該当するかどうかってのは、あえて言い切るが「全く」問題になりませんでした。(お好みであれば「私には」と、n=1であることを明記しますが、当時の同僚も、男女問わず問題にしていたことは無かったです。 ただこれは初勤務先がたまたまそういう会社に当たっただけで、アパレルであってもそうではない会社も多いのだということは後々分かりました)
仕事で齟齬を来さなければ、あるいは人間的、性格的、思考回路的に相当の相性の悪さがあって対応にめちゃくちゃ疲れるようなことがないなら、それ以外の個人のプライベートが、犯罪にでも絡んでいない限り問題になるほうが私にはよほど不思議。
そしてその後転職し、「大手」と言われるメーカーに入ったところが、同性愛者に限らず性別、年齢、出身校などについてまったく「無意識」に差別的な言葉を吐き出す人がいるのに本当に驚かされました。
とはいえ、弁護側にまわりたい気持ちもありますね。
今から40年近く前の社会認識はそんなもの。 私自身も、例えば女性や年齢的なことの「常識」に反発しながらも捉われていたし。 昭和で煮しめて育った年代。 今だってそれらは完全に消えたわけではなくて。
十代の頃から付き合いのあった友人がある時、自分は女性に恋愛感情を持てないと、指の関節が白くなるほど強く組んだ両手を震わせながら私に話した。
怖かったと思う。 まだ「異常」と考える者も多かった。
私はマニッシュな服が好みで…というか成長期に水泳で鍛えたため、肩幅が女性に稀なほど広く、フェミニンな服がとんと似合わないのでいつもメンズのシャツや、兄のツイードのジャケットをくすねて着るなどしていたので安心されたのかも。
「あ、そう。 彼氏は?いるの?」 軽く「で、それが何か?」という感じで答えた私の顔をまじまじと見ながら、「気持ち…悪く…ない…?」
「何で?本社の同僚に普通にいるよ?」 その瞬間、顔を覆って泣き出した彼に、今までどれほどつらい想いできたのかと思わずもらい泣きした。
60年代に生まれた私はある意味非常にラッキーだったかもしれないと思います。 10代に「花の24年組」と呼ばれる少女漫画家とそれに続く一群が、現在でも驚くほど鋭い作品を次々と発表していた時代にリアルタイムで居合わせたのですから。
その作品群の中には絶対的な「マイノリティ」を描いたものが多くあり、そこから学んだものは本当に多かった。 それらが「少女」マンガだったということは、実に興味深いのですが。
「自由」を求めること。 人として「自由」であること。
それを阻むもの。 否定し葬り去ろうとするもの。
この後も各地で同様の裁判の判決が出るのだけれど、判決がどうあれ、法改正で同性婚が認められるまでにはどうしても時間がかかる。 まだ道のりは長い。
それでもこの判決が出されたことに、昨日私は思わず目が潤みました。
時代は進み、世界は変わる。
今までこうだったから。 昔からこうだから。 伝統的にこうだから。 そんな前例はないから。
いつまでそんなところにしがみつくつもりなのか。
縛りから解かれよ。 古黴臭い呪縛で他人を支配するのが正しいと思っているなら、そのほうがよほど病的。