mouratta’s blog

うっかり半世紀生きてきて、自分がギフテッドと やっと気づいた私。

明日は我が身と思わねば。

 

コロナウィルスの感染が拡大して以来、出かける頻度も普段の買い物に行くのもずいぶんと減りました。 今は下手すると週に1度、10日に1度。 

あら牛乳切れちゃった!とあわてて近場のスーパーにほんの2,3品買いに走ることもありますが、それは買い物というより御つかい。

 

まとめ買いで物量は増えて重くなりますが、今は多くのスーパーで一定額以上買えば、ちょっとした大きさの段ボールくらいの量なら200~300円位の料金で家まで届けてくれるサービスがあるので、冷蔵・冷凍だけ持帰り、それ以外のものはお願いしています。 野菜や調味料、洗剤とかの重い物、夏ならカートひっぱって行けますがこの雪道ではそれも無理なので。

 

さて昨日は3月2日、お雛様はもう無いけれど、桜餅は食べたいしとちょっと離れたスーパーまで足を延ばしました。 ここはお菓子屋さんがテナントで何軒も入っているので美味しい桜餅あるだろうという目論みで。

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北海道外でも知名度の高い六花亭はひな祭り時期だけの4つ入りパックが500円。 白いのが粒あん、桜色のがこしあん、それぞれ2つずつ。 桜餅に粒あんは珍しいですね。 北海道の桜餅は「道明寺」のタイプです。 

都内で見かける焼き皮は見たことない人も多いんじゃないかしら。 私も社会人なりたての頃、この時期に本社出張で休憩時間に桜餅どうぞ~と焼き皮タイプ出されて仰天しました。 もちろん大阪支店も「こんなん桜餅ちゃう!」と、「そも桜餅とは!」の大論争となりました。 何やってんだ仕事しろw

 

食材も買いますのでカートを押しながら売り場を動いて、思わず止まってしまった冷蔵ケースの前。 魚売り場です。 ケースの中がすっかすか。 何度も来ているスーパーなのでここに何が置かれていたのかは覚えています。 ロシア産の紅塩鮭のパック。

いつもは大きなパックに半身、中パックに3~4切れ、小さなパックに2切れ、それが常にきちんと陳列されていたのに。 経済制裁で決済不可になるかもしれないということで入らなくなっているのか、ロシア産ということで批判を受けそうなので追加しなくなったのか、反戦の意思表示として今後の仕入れを控えることにしたのか。

 

今回のウクライナへのロシアの侵攻は、過去の記憶とこの先の展開について思いめぐらすのがキツイ状態となってきています。

過去の記憶というのは、道産子ですらもう60代以上でなければ分からなくなっていると思いますが、かつては(私が中学生くらいまで)「ある日突然ソ連が攻めてくるかもしれない。それは明日なのかもしれない。」という緊張感が常に北海道の人々の中にありました。 冷戦の最中。 まだ戦争を現実に自分が体験したものとして知っている大人たちが普通にいた60年代、70年代。 

戦争は、ある日突然始まり、そして核兵器が人類すべてを何回も繰り返して滅亡させられるほど大国にそれぞれ装備されていて、誰かの指先が押したボタンひとつで私の頭上に降ってくる。

その始まりの地に、ここがなるかもしれない、そんな立地の北海道。 

 

普段の生活ではそんなこと微塵も話題に出てはきません。 でも何かの拍子に「ソ連が上陸するとしたらどこに」「事前に察知できるのか」「国後(くなしり:北方領土の1島で北海道にごく近く軍事基地も置かれている)からだとあっという間に」「自衛隊は」そういう会話が真剣な表情で始まるのです。 冷戦が終わり、そういう緊張感は徐々に薄れたものの、子供の頃のその雰囲気の記憶は拭い去れないものです。

砲撃も空爆もなく、「かもしれない」だけですら重い「恐怖」と「緊張」

それが今実際に攻撃を受け人が死ぬ、その中に巻き込まれている人々を思うといたたまれない気持ちになります。 できることといえば在日ウクライナ大使館の呼びかけに応じて寄付を送ることだけ。 そして声を上げることだけ。

 

 

この先の展開で最も危惧することは、戦闘が長引き、営農が不可となること。 ウクライナはとくに欧州のなかで重要な食料生産地なのです。

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そして一方、

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ロシアも食料はじめ肥料も世界的に最重要生産国。 ロシアに対する経済制裁は両刃の剣でもあります。

 

ウクライナはかつてとてつもない飢餓に陥れられました。 人工的な飢餓です。 「ホロドモール」と呼ばれる、スターリンによるウクライナ人ジェノサイドであったと現代では認識されています。 

この先、もしウクライナとロシアの協議が見かけだけは何とか手打ちのような体裁をロシアが取って、その実悪い方向に決着し、種まきの時期を逃したかの地と欧州にホロドモール再来が無いとは言い切れないという恐怖。

 

ベルリンの壁が崩れ、東西冷戦が終わって、核戦争の危機は去ったと皆思ったはずだったのに、たった30数年でこれなのか。 恐怖の記憶は決して本当には引き継がれないのだなとつくづく思います。 世代が変われば速やかに忘れられていき、繰り返す。

 

 

かつて大橋巨泉がこう言ったという。

爺さんが始めて、おっさんが命令し、若者が死ぬ、それが戦争。

 

自分も老境に足突っ込んでいるのでよくわかるのだけれど、年寄はしばしば昔の華やかな夢を食って余生を生きるような振る舞いをする。 それが余生と自覚できてるならいいのだけれど、今も現役バリバリなんて思ってると本当に性質が悪い。

 

かの大統領の行動が理解しがたい。 老いた。 暴走老人と化したという物言いもあるけれど、たぶん彼は老いたというより、昔の華やかな夢(自分ではなく大国であったかつてのソ連)を食い続けていたところに自らの老いを否応なしに自覚してしまったのではなかろうか。

この10年の話はできる。 だが次の10年、その舞台に自分はいない、急がねば! 偉大なロシアの復活を! 私には使命がある!が、時間がない!急がねば!

で、おっさんたちは命令し、若者たちは死んでゆく。 

 

それにしてもあの報告を聞く映像の豪華な「謁見の間」の、報告者たちとの距離感は一体何なんだろう。 常識ではありえない距離。 トップは孤独なものだけれど、その地位での長い孤独は間違いなく心を蝕む、その象徴としか感じられない。

 

 

まだベルリンの壁が立ちふさがっていた70年代後半「海の向こうで戦争が始まる」という秀逸なタイトルを掲げた村上龍。 この小説自体は彼の作品の中であまり評価は高くないけれど、タイトルは一度でも聞けばずっと記憶の底に残る言葉。

 

海の向こうの戦争が、この先ずっと自分には関わりなく済むなど、もはやそんな牧歌的な時代ではなくなってしまった。 海の向こうだろうが、遠い大陸だろうが、それはあっという間に世界を、誰もを巻き込んでゆくのです。

 

「だから」銃を持て、武装しろ、核配備を認めろ、そんな暴言に決して流されてはいけない。 この国にもおっぱじめたい爺さんと、命令したいおっさんとがいて、やたらにTVに出ては威勢のいい言いたい放題をやらかしつづけているけれど。 

でもそいつらは決して戦場には行かない。 

そいつらの家族も親族も友人も主力支持者も。 たとえ敗戦国となっても戦犯として縛り首にすらならない。 そうやって上手く立ち回る連中に踊らされて命を差し出さねばならないとしたらこんな馬鹿げたことはない。

 

こういうことをこの機に乗じて言いまくっている連中の心には、ウクライナの人々も、前線に放り込まれたロシア兵たちもカケラも存在していない。 戦争で苦しむ一般国民のことなんか、たぶんもっとどうでもいいだろう。