mouratta’s blog

うっかり半世紀生きてきて自分がギフテッドとやっと気づいた私。

終戦の日から一夜明けてもまだ考え続けている。

 

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ひとたび戦争となれば、りんごひとつ、手に入らなくなるかもしれないという怖さ

 

 

今年は終戦記念日が、大型台風上陸と重なるという、なんとも厄介なことになってしまい、終戦の日の催しも中止されたり、交通機関が運行停止となったり、40℃を超える高気温となったり。

北海道は朝からその台風崩れの影響下、風雨が強まりつつあります。 

 

さて、毎年この時期、戦争についてのドラマやドキュメンタリーが多く放送されるのだけれど、今年は特に見ごたえがあった気がする。

かつての、戦争は残酷だ、戦争は悲惨だ、戦争は地獄だ、というドラマや経験者の講演。 それは確かにその通りだけれど、そこから一歩踏み出して「何故」この国は戦争に突き進んでいってしまったのかという検証に向かおうとしている感じ。

 

よくそれを掘り起こしたなと思うような内容であったり、逆に言えば何故それを今まで検証の机上に載せることをしなかったのかと思うものまで、個人的に長く疑問に思っていたことが解決したり、新たな切り口のものが取り上げられていて興味深かった。

 

つまりは戦争記憶の風化が深刻なのだろう。

そして「このままでは多分再び…」そういう感覚があるのかと。

 

  

戦争が終わって 僕等は生まれた。

戦争を知らずに 僕等は育った。

おとなになって 歩きはじめる。

平和の歌を くちずさみながら。

僕等の名前を 覚えてほしい。

戦争を知らない子供たちさ。

 

その「子供たち」は、今や年金世代となった。 既に物故者も多く。

 

戦争を体験した世代は、正面から向き合うことなどできないほどに辛く、結果、語らず黙り込み、封印した。

戦争を知らない世代は、その沈黙から不信をつのらせ、白けていった。

冷静に検証に向き合わねばという方向には、とうとう向かわなかった。

 

沈黙は、語りつくせるものではないからというのが分からないではない。

私の父は従軍経験があり、戦後シベリア抑留を経て帰国した。 その父をみて育った私は、戦争と言うものが人間に与える傷の深さを間近に感じていたわけで。 

自分が年齢を重ねれば重ねるほど、その頃の記憶に理解が追いついてきたのです。 何故、父は語らなかったのか。 語らないのではなく、語れなかった。 晩年まで真面に語ることが出来ないほどのもの、戦争体験。

 

 

mainichi.jp 

私の父も、戦場では実際の戦闘で亡くなるより、飢えや病、自決で命を落とした兵士が結果としては多数だったということを話していた。 

そしておそらくそれは、この先の戦争でも変わらないと思う。

『戦闘地域』に限らず、『非戦闘地域』でも、飢えと病が人々の命を奪って行くことになる。

 

米、小麦、豆類、じゃが芋など。 日本の主要な食料生産地となった北海道で、あまりに広大な畑や田んぼを見ながらそんなことを思う。 

まるでブルドーザーのような巨大トラクターで、畑の端から端まで作業しつつ移動する。 それが片道30分以上かかる広大な畑。

石油の流通が断たれれば、トラクターは動かない。 人力のみでこの畑を維持など出来ようはずもなく。

電力が止まれば牛の搾乳ができない。 搾乳した生乳の加工もできない。

 

昨年9月の地震とブラックアウト時の経験から、店の棚にあふれている物資は、ひとたび非常時となれば、あっという間に欠乏するのだとイヤというほど突きつけられたわけで。

食料も、医薬品も、日用品も。 ガソリンも灯油も。

 

 

あって当たり前、と言うものは、失うまでその重要性が分からない。

普段の暮らしの中で「空気」をどれほど意識しているだろうか。

普段の暮らしの中で「自由」を、どれほど意識するだろうか。

 

戦争は、あなたから、すべてを奪う。

その怖さを本当に伝えていけるかどうか。

 

戦争は、その渦中にいる者たちにとって、コストに全く見合わない。