mouratta’s blog

うっかり半世紀生きてきて、自分がギフテッドと やっと気づいた私。

7年ぶりに10月のうちに初雪が降りまして

 

冷たい雨のあと、落ち葉が降って。

道路には落ち葉が積もっていよいよ晩秋です。 札幌は晩夏が一瞬で終わり、秋はあっという間に初冬となります。 

それでも私が子供の頃から間違いなくそうであった「10月中旬から末にかならず初雪が降る」…が、大幅に11月にずれ込むようになり、それも数日どころか20日にやっと降ったとか(2018年)今や「初雪は11月」晩秋が長くなりました。 ホントに気候が変わってきましたね。 今年は久しぶりに10月のうちに(20日)札幌平地で初雪観測したのでかえってびっくりしました。

 

冬が間近くなってきて色んなものを整理し始めてます。 おうちに籠りがちになるので不用品整理には好適な秋冬♪ …あ、何となく言葉の並べ流れを間違えてるな。 いや、あの、別に…不要と思ってるわけではないんですけどね、まぁ…やむに已まれず。

 

最近話題の「墓じまい」。

 

そもそも私くらい(60代)の北海道育ちには「先祖代々の」と呼べる墓がある家は稀です。 納められているのはせいぜい祖父母。 その祖父母の遺骨も北海道移住前のルーツの菩提寺墓所に納めることも多かったです。 私の父方の祖母も元々の出身地である山形に両親が納めに行きました。 

なのでウチの墓には両親のみ。 しかも北海道では割と普通な「納骨堂」式。

北海道はその気候のせいで、普通の「墓場」であれば冬は墓参りが物理的に無理だし、春のお彼岸もかなり無茶です。 行くおうちもありますが、除雪スコップ必須。 雪に埋もれた墓を掘り出すところから…というか墓に到達するまでの道を除雪するところから始まりますので(しかも積雪は最低でも膝上~腰の高さくらい、そして春先の積雪は圧縮されててホントに重い)割と新しいきっちり区画整備されたような墓苑ですら危険(転倒してアタマ何らかの石材にぶつけるとか)です。

それで昭和40年代頃から道内の多くの寺院で「納骨堂」を建設し始めました。 言い方悪いのですがロッカーみたいなもんなので省スペースで管理も楽だし。 ただ納められる遺骨は2~3柱、せいぜい両親くらいで「先祖代々」というわけにはいかない。 となると、子供の代が自分たちの納まる先を探すようになる年代になったとき誰がこの先この「墓」を守るのかという。 しかも未婚だったり子供がいなかったり、いても遠方に暮らしているなんてことになればねぇ。

え、2柱ていどって、納めるのそんな小さいスペース?と思われたかもしれませんが、火葬後拾うお骨の量が地域で全然違うんですよね。 北海道はほとんどの場合関東と同じ「全骨」なので骨壺も大きいしそれを納める骨箱も大きい。 7寸とか8寸とか。 なので2柱くらいしか納まらないんです。

 

我が家はもともと亡父が「納まる先は寺の納骨堂を手配してあるから心配しなくていい。その後はいずれ頃合いをみて和尚に閉眼供養を申し出て永代供養墓に納めるように」とはっきり言っていたので助かりました。 ま、その「頃合い」を決める諸々が厄介ではありましたが。

でも当時はまさかここまでと考えてはいなかった地元の過疎高齢化半端ないのです。 檀家さんたちも高齢化して、そのお子さんたちは地元にはいないし。 20年後にこの寺自体が維持できているのだろうかと不安を感じる状況。

たとえ寺の維持がむずかしくなったとしても私が元気ならまだ対応もできるでしょうが、20年後なんてこっちがどっかに納まってる可能性が高いわけで。 そんなこと考えてると寝覚めが悪いったらない。 

つくづく大阪の一心寺の存在がうらやましいわー! ウチ曹洞宗なんですけどこのシステム導入してくれないかな(システムとか言うなw)

www.isshinji.or.jp

 

で、昨年春のお彼岸ころからあちこち霊園の資料取り寄せたり問い合わせたりして比較検討していました。 一口に永代供養墓と言っても細かいところがかなり違って、かかる費用も色々で。

「合祀」はまだちょっと抵抗があるけれど、個人墓となれば管理の問題が出てくるし、個人の永代供養墓はほとんどが20年前後で合祀墓に合葬され墓を空けることになるシステムで(だからシステムとか言うなw)、最近出てきた「樹木葬」というのもそんな感じのものが多数。

 

調べているうちに、樹木葬という名目で個別で永久埋葬(合祀墓などへの改葬無し)のところが見つかり、しかも申し込みの時に納める費用で全て完結、その後は一切の費用負担なし。 あらそれほぼ私の希望通りな理想じゃん。 探せばあるものですねぇ。

実はこの霊園、北海道の空知地方にもう何十年も前からあるところで知ってはいたんですけどまさかそんな整った条件とは思ってなかったので、灯台下暗しってヤツでした。

実際に見に行ってみるとダンナもすっかり気に入って、「来春お参りに来たついでに私らの分申込しちゃおう」と意見が一致。 ついでって何だよw

 

細かいことを問い合わせてみると「基本的にはご遺骨のみですが物によっては(プラスティックとかではなく時間経過と共に自然に還るっぽいもの)副葬品も一緒に納められます」とのことなのでとてもありがたい。 宗派によると思うのですが戒名を授かった時に「血脈(けちみゃく)」というものを頂くので、それを一緒に納められないと困ってしまうのです。 胸元に持たせて荼毘に付す場合もあるし、骨壺に入れて埋葬することもあるとのことでどれが正しいということではないのですが、一緒に納めるように和尚様にお話しされましたから。

 

母の没後に供養費としてそれなりにまとまった金額を除けていたのでその出納簿と霊園の資料、手紙と余剰金の半分を兄に現金書留で送ってほぼ終了。 実はまだ過去帳が私の手元にあって、それを最終的にはお寺に納めに行くまでは完全に終了ではないが。

和尚様曰く、これは本来跡取りのお兄さんが持つべきもの。そうは言っても無理ならいつでも貴女が納めにいらっしゃいとおっしゃって下さったので。

 

ま、兄には兄の人生があり、兄の家族の信仰があるわけで。 兄はそれを親にも私にも必死で隠し通そうとしていたのだが、いやそれもう私にはバレてますw  せめて私にだけでも早い時点でコソッと話しておいてくれればそれなりに上手く調整して余計な軋轢など最小限で済んだだろうになぁ。 あ、私、信用されてないってことか。 そういうことか。

 

私は「信仰の自由は基本的人権のひとつである」と考えています。 なのでよほどのことがない限り人様の信仰を否定などしないし、敬意を払い尊重します。 ただそれは「お・互・い・に・それぞれの信仰について敬意を払い尊重しあえているならば」が大前提。 それができないならオハナシにならん。 あ、問題はそこか。 そこなのか。 

 

速達で出したわけではないけれどさすがにもう届いていないわけはない時間が経っていて、それでも電話ひとつ来ないのは今後の付き合いはもう断たれたと思っていいんだろうな。 勝手に墓じまいしたこと激怒して連絡してこないってのもアリだけど、この2年くらい墓参りに来た形跡もないし。 生存が危ぶまれるレベルだな。

兄弟は他人の始まりってこういうことかと還暦すぎてしみじみと胸に落とす今日この頃。 やれやれ。 

やっと大きな保留事項が決定の棚に移せた。 あとは納骨の日を決めて納めるだけ。 ふと思うと寺の納骨堂には管理のために番号が割り振られていて、それは私の誕生日だった。 父は兄ではなく私が仕舞うとわかっていたのかなぁ。