mouratta’s blog

うっかり半世紀生きてきて、自分がギフテッドと やっと気づいた私。

2周年…「ギフテッド」という言葉を知ってから。

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「ギフテッド」という…概念というか事象というか存在というか。  それを初めて知って

・・・これは私だ(;゚Д゚)・・・と認識したのは2015年の11月29日。

まる2年が経ちました。

 

その後9カ月、ネットの中をふらふらとしつつ、本やら文献の目についたものは手当たり次第に読み漁り、翌年の8月に、このブログを開始しました。

ブログも休み休みしながらも、何とか1周年が過ぎ。

この1~2年で急速に発達障害についての認識が世の中に広まってきたと感じます。 ただ、実際には個々の特性がそれぞれに異なっている部分が大きく、一般的に「これがそう!」というモデルは設定しにくい…

ということは、本人ですら判断に迷う、困ったことに医師などの専門家ですら意見が分かれる、ましてやそうではない人々にとっては本当に理解しづらいだろうなと。

 

 

私自身はギフテッドがどうこうよりも、「2E」

算数障害ということがあるのだ、ということを知れたのがなにより…自分自身を救う縁(よすが)となりました。

 

同時に「ギフテッド」の特性とされることが、ずっと自分の大嫌いだった部分そのものであり、物心ついて以来抱き続けていた「何故私はこうなんだろう」という負い目引け目コンプレックスの根本に、

「だってギフテッドだからさ」

という解答を見つけられたこと。 この解放感はとても大きいものでした。

ややしばらくハイになった後、いまはずいぶん安定しましたw

 

もちろん抱えていた問題の全てが雲散霧消したなんてことはありません。

今も変わらず、ロクに九九の暗唱はできず、大事な友人の誕生日も、親の命日も思い出しきれず、チックも抑えきれずにいます。

それでも、何で私は…(;_;)…という泥沼のようなところから抜け出せるドアを手に入れられたわけです。 ま、そのドアの先にもいっぱい足を取られる所はありますけれどw

 

 

ちょっと前に義父が転倒して入院したため、急ぎ上京したことを書きましたが、色々細かな手続きを取るうえで、思いのほか言葉を紡ぐ能力というのが力になることを実感しました。

 

話の持っていきようで、言葉の選び方ひとつで、人に希望を持ってもらうこともできるのだということに正直驚くような気持ちでいました。

自分にそんなことが出来るとは思ってなかったのでね。

もちろん、真剣に考え、心から紡ぎ出す言葉でなければ、どんなにお上手な美辞麗句もすぐにメッキが剥がれはするのでしょうが。

 

私は算数はカラキシできないけど、言葉で誰かのお役にたつことが少しは出来るのかもしれない。

そう思えることも、自分自身を安定させる要素の一つとなっています。

 

まだまだ、学ばねばならないことも多く、知らずにいることも多く、おそらくは、知らずにいることにすら気づかぬことも多く。

でも、少しずつでも、続けていこうと思います。

 

 

 

私は「ギフテッド」です。

そして2Eと呼ばれるタイプで、「算数障害」をかかえています。

 

Wikipediaの「ギフテッド」項目を目にしたことをきっかけに自分がギフテッドであると認識しました。

おそらく、ご自身でも気づかぬままに辛い思いをなさっておいでの方がたくさんいらっしゃると思われます。

もしどなたかのお役に立てたならいいなぁと思いつつ、ぽつりぽつりと書き連ねています。