4何でこのブログを始めたか…最初の記事は、こちら
ゴールデン・ウィークを心の言い訳に2週間ほど遊び呆けてましたw
北海道ってね、花暦があるようで無い(^○^)
ずいぶん雪が減ったわねぇ、あらフキノトウが、クロッカスが!カタクリが、エゾエンゴサクが!…を開始合図に、桜まもなく咲くか咲いたかって頃合いから数日のうちにコブシモクレンツツジ梅水仙チューリップ木瓜菜の花雪柳間もなくライラック。
一気に咲き競うので、じゃ来週は菜の花見に行って~、その次の週は~…なんて暦週末に合わせてのんびりしてられないw 大好きなエゾエンゴサク、春のほんのわずかな間に咲き、消えます。
スプリング・エフェメラル(春の儚いもの)。
カタクリもそうです。
上の花の羅列で「え?なんか違う?」と思われるかもですが、梅は桜の後です。元々北海道には梅ってほとんど無かった。 桃も。 たま~に、手入れの良いお庭で「わっ!珍しい!」って見るくらい。梅って寒さに弱いし、枝が雪で折れるし、難しかったのでしょうね。
昭和の終盤から札幌の平岡公園みたいに「梅林」を整備し始めたのかな、数年前に札幌に戻ってきて「え?梅林!?札幌で!?」ってビックリした。
一度、長野出身の方と東北の山村部を春先に車移動していた時に「梅ですかね、満開ですね♪」と言ったら、「いや、あれ桃だよ、奥の木は杏。」と即答されて仰天した(゚д゚)!(東北なので、梅も桃も桜も咲くのがほぼ同時期) 見分けつくの!? そんなに違うの!? 同じにしか見えないww花の付き方違うでしょって笑ってたけど、わからん!w
さて、休みの浮つき気分は置いといて。
Wikipediaの「ギフテッド」の記述内容をお借りして
私の場合はこんなんでした…というのをぽつりぽつりと書いております。
ちょこちょこと進み、今回はギフテッドの抱えがちな問題について、
今回で4回目です。 前回は「低達成」についてでした。
今週はその続き。 「完全主義について」。
「ギフテッド」についてWikipediaより完璧主義ついてを引用。
最終更新 2017年4月24日 (月) 16:17 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
(wikiの特徴ですが更新されて内容が変わっていくことが頻繁にあります。以前書いている記事で引用しているのは最終更新が2016年とかだったりしますので現在のものとは内容が異なっているかもしれません)
完璧主義
完璧主義も、ギフテッドの人間によく見られる精神的な問題である。ハマチェックの論文に寄れば、完璧主義に関連する特定の行動6つが挙げられる[23]。
- 気分的うつ(慢性のうつ病ではない)
- 「こうするべきだ」という気持ちに絶えず苛まれる
- 恥と罪悪感
- 面目を保つための行動
- 内気でぐずぐず先に延ばす
- 自己卑下
孤立問題同様、完璧主義も男性より女性によく見られる。
ギフテッドの子供は自分の精神年齢(自分の思考水準)を標準にするが、身体年齢が追いつかないため完璧主義であることはなおさら辛い。頭では理解していても、人生経験が足りないために精神年齢並みの行動ができないという歯がゆさもある。また逆に、自己の能力の限界に達しないギフテッドは、多くのことが何でもそつなく、時に普通以上に達成できてしまうため、失敗すること自体に対する完璧主義が助長されてしまう。
特定の行動、6つ、ですか。
・・・ってゆーか、この特定の行動6つについて論文書いた(らしい)
ハマチェックって、人よね?どこのどなたさまなんでしょう…。
検索かけてもはっきりしないし、Wikiの脚注から調べてもよくわからない。
結構「ハマチェックの論文によれば」って引用してるサイトあるけど
…もしかして「そんなこと知らない人間がこの世にいるとは…」レベルの
ジョーシキなんだろうか…(。´・ω・)? 知らないの私だけ?
でもこういうのを「これが正しい!」と思い込みたくないな。
やっぱりちゃんと論文の、せめて要旨だけでも読みたいんだけどなぁ、
あと発表された年代とか。
まぁ、心理学って、実験でこう証明された!なんて論文で発表されても、
拮抗する論文もあったり、矛盾してる気がしたりする学説も当然あって
「私はこう考えてますよ」程度で納得してれば良いんじゃないのと
思うんですけどね。 なんせ私は専門家じゃないしw
論文読んだって全然理解できないとかさwww ありがちだよなぁ。
あ、これって心理学に限らないな。 日々の生き方もそうかな。
さて、Wikipediaを過信はしないでいこうと思いつつとりあえず続けます。
1.気分的うつ(慢性のうつ病ではない)。
気分的うつについては確かに「気分のふさぐこと」は多かったです。
多くの場合周囲は(親・友人)何故いきなりふさぎ込んだか分からない…
というような感じだったと思います。
友人相手なら多少は気を使って抑えるのですが、家で、家族が相手だと
甘えもあってそのままどよ~んとしていたりしましたね^^;
ある程度の年齢で自室に引き上げるという対応が出来るようになった。
元気ではあったし、走り回って遊んでたし、積極的でおしゃべり。
でもそれだけに時々「ふと、底なしの暗さが見えて」気味の悪い子、と
祖母や母に言われたことがありました。
まぁ…実の祖母・母に「気味が悪い」まで言われたら、
そりゃあ「底なしに暗い」子供にもなろうってもんじゃなかろうかとw
今でもふっと、気分がどっぷり沈むことはあるのですが…
これって、みんなそうじゃないの?
何か悲しいとか辛いとかってことがない限り気分沈んだりしないのかな。
2.「こうするべきだ」という気持ちに絶えず苛まれる。
これは、ありました。 特に若いころ。 今は大分薄れました。
こういうのって自分自身に向いてる分にはまだ良いのですが…
いや良くもないかw
でもまぁ、人様に迷惑かける度合いは少ないってのが救いですかね。
白状しますと実は今そのまっただ中におります…(^^;)
縫物してるんだけど、準備部分に不満があるのでやりたくない。
縫いながら「だからそーじゃなくて」なんて気分で眉間に皺がよる。
そしてその不満って、すっごくどうでもいい、些細なことwww
「こうするべきだ」が、ものすごく強固にあって、しかも自分では
そこまで強固だってことを認識できないままでいることが多いので、
「こう」なっていない「こう」出来ないって場合に、一応大人の年齢だし
我慢してやりはするけど…心理的抵抗感が強い…のかなぁ、と思う。
その心理的抵抗感が他の「完璧主義に関連する特定の行動6つ」に
結びついている気がします。
3.恥と罪悪感 。
完璧主義でこれに苛まれないのはいないと思う…っつーか、
それ感じないでいられるのは多分別のカテゴリーに分類されるタイプに
なるんじゃないかしら。
何やっても何かしらの不満足な部分があれば、それはもう失敗で。
こんなこともマトモに出来ない自分は恥ずかしい。
こんなこともマトモに出来ない人間で済みません。
誰かに何かほんの少しでも指摘なりアドヴァイスされたらもう
私は何の価値もない人間です、恥ずかしいです、生きててごめんなさい。
私はチャントシテナイダメナコです。
スミマセンスミマセンスミマセン…
4.面目を保つための行動
3で書いたようなところまで沈むのだが、それ(強烈な劣等感)を
認められずに(認めたらこの世の終わりとしか思えない)逆上噴射する。
また、なにか他人や世間に認められているものを貶しがちにする。
貶すことで自分が上にいる、というように振る舞う。
完全に自分より「下」の立場のものには妙に寛大。
分からないことは手を出さない。 無視する。
何でも知ってる物知り博士キャラを必死で守ろうとする。
間違うことのない私。 私は正しい。 常に正しい。
(ホントにさ、こんなだったよ。 うんざりするわ、書いてるだけで。…バッカじゃねーの!>自分…(-_-) と本気で思うわ、嫌になるわw)
5.内気でぐずぐず先に延ばす
これは2で書いたことが影響として大きいのかなぁと思うのですが
私はずっと自分が怠惰ぐうたらロクデナシと思っていました。
(今も思ってますけどね。っつーか根はやっぱり怠け者w)
基本、「今が心地いいし」「現状でいいならわざわざ変えたくない」
「誰かと話すとか新しいこと始めるとか、億劫」
「いいじゃん、このままで」
だって…心の底では本当はこんな風。
「失敗するかも」「恥かくことになるかも」「いや、きっとそうなる」
…それで動かないでいる。 動けずにいる。
そしていよいよ切羽詰まって動かずにはいられない状況になると
怒涛の如く着手して、そこそこのものを仕上げてしまう。
でもそれは「そこそこのもの」。
(自分的には)「完璧じゃない」ので3に戻るw
そして4の状態になり、5に進む。
6.自己卑下
そして自己卑下することで、パーフェクトではない自分にたいして
エクスキューズを与えるということをして逃げているのかな。
いやいやいやいやいやいやいやいや、私なんて私なんて<(_ _)>
…って言いながら、実はそんなことこれっぽっちも思ってない。
そしてそう思ってることは、多分周囲にバレてる(^^;)
でももっと深いところでは、真剣に自分はダメダメなクズだと思ってる。
だから自己卑下して「そんなことないですよ!」という言葉を暗に
おねだりするのだ、きっと。
…(/ω\) 自分で書いててつらいわ~w
でもホント、こんな風でしたね。 自分が嫌いで嫌いで。
周囲の人たちには迷惑な存在だったろうなぁ。
ほんとに…ごめんなさい…
お守りしてくれてた皆々様、有難うございます…<(_ _)>
私が「完璧主義」から抜け出せたのは、一つは年齢を重ねたこと。
生きてりゃ色々学びますからね。
人からも、出来事からも。
そして 「私の完璧は、あなたの完璧ではない」
「そもそもそんなもの(←私の完璧)は、誰も望んでない」
…ということを心から受け入れられたからだと思います。
これを受け入れられたのは、
自分はどういう人間でありたいのか。
ということを自分の背骨として据えてから。
価値観を、人からの評価ではなく、
自分自身が「こうありたい人物」を具現化できているか、
またはそのための努力をしているのか、
それはどの程度上手くできたのか、次はもっと巧くできるのか、
そうする自分に「誇り」を持てるかということにシフトしてから。
ふふ、「誇り」なんて言うと何様的ワードっぽいけど
要は「私は私。」ってことですかね。そんな御大層なことではないです。
結構揺らいだり、ぺしゃんこになったりするけど、
立ち戻る場所が分かったので、「完璧」じゃなくってもいいんだ、
と信じられるようになったってことでしょうか。
今回、「完璧主義」についてあちこちのサイト拝見した中で、
うっわー!こんな分かりやすく解説なさってらっしゃる方が…
と、感動して過去記事順に読み進めさせて頂いてるのがこちら。
リンク自由だったんで貼らせて頂きますが、ものすごくツボで
そーそーそーそーそーーーーーー!と読みながらうなづくうなづくw
いいなぁ、こんな文章かけたらいいなぁ(=_=)←遠い憧れの目
特にギフテッド関連ということではないのですが
とても色々参考になるお部屋です。
私は「ギフテッド」です。
そして2Eで「算数障害」を抱えています。
今回はWikipedia の「ギフテッド」の項目から
「完璧主義」について、書き連ねてみました。
完璧主義は長いこと私を苦しめました。
自分は価値がある存在と全く信じられなかったから
固執していたのだと思います。
私が求めていたのは「完璧」ではなくて
「完璧を求めている私」を見た人物が、
私に高評価をつけるであろうということを期待し、
それを求めていたのだと今は思っています。
だから苦しかった。
完全にクリアできたとは思いません。
いえいえ、出来てはいません。
でも、確かに多少は「折り合いをつける」ということが
出来るようにはなってきました。
…歳とるのも、そう悪くないなと思います。