mouratta’s blog

うっかり半世紀生きてきて、自分がギフテッドと やっと気づいた私。

札幌の晩夏はひどく短くて。

 

昨夜遅くの「エリザベス女王が健康上の懸念で医師の管理下に…」という報道がいわゆる「衝撃に備えよ」アラートであろうと予想はしていたけれど、今朝起きるなりの女王崩御のニュースに寂寞感。 20世紀を体現した存在が失われてゆく。

異国の君主にこの感情を素直に感じるというのに、自国の国葬対象の人間にそれが無いというのはなんともはや。 これを機に「ごめんなさい、やっぱ国葬無いわ。理由?ええまぁそれはね…まぁ…お察しくださいってことで…」で党葬にしちゃったほうがこの後の展開をすごく有利に運ぶための駒置き一手だと思うんですけど、そう考える人物はその界隈にはいないってことなのだという理解でよろしいでしょうか。

 

 

【白ける】って言葉がありますが、かなり古く万葉集にも出てくるそうです。 その当時は文字通り「白っぽくなる」とか「色あせる」ことを表したものだったのが、江戸時代になって「興ざめする」意味合いを持ち始めたそうで。

 

dictionary.goo.ne.jp

その後、学生運動の終盤あたりからでしょうか、「シラケ」とカタカナ表記で「無関心」「非協力」「冷淡」「無情」というニュアンスを持ち、最近はそこに「呆れてものも言えねぇ」が加わってきたような気がします。

 

 

それが誰であろうと、暴力的な手段で命を絶たれるということはあってはならないことなのは当然ではありますが、その後のどこぞの釜の蓋が開いたかのようなこの様。

あたかも何よ、それ畜生道の地獄の絵を、月夜に映したような怪しの姿が板戸一重、魑魅魍魎というのであろうか、ざわざわと木の葉が戦ぐ気色だった。

(「高野聖泉鏡花

 

この国の舵取りの中でどうにも理解できない理不尽な部分がこんなことの影響であったのかと思えば、そりゃ白けるなんてもんじゃなく。

 

 

ずいぶん昔、「白けるって、コレなのか…!」と衝撃を受けたことがあります。

当時付き合ってた相手と相当に雲行きが怪しくなって、こっちは別れたい、向こうは結婚をエサにつなぎ止めようとするという状況で、結婚結婚連呼する相手にひとつひとつ理詰めで何故私はアンタと結婚なんかしないのか今風に言えば論破し続けて行ったわけですが、まぁそりゃ向こうだって限界に来たんでしょう、終いにはこう怒鳴りつけてきました。

「何でそんなに悪い方悪い方にばっかり物事考えんのよ!お前の考え方って暗いよな!お前!暗いわ!!!」

 

その瞬間、心底驚愕したのですが、世界が白っちゃけたんです。

バッ!!!という感じで一瞬で、色あせたんです。 あまりに驚いて、目を見開いて周囲をただ見回していました。 目の前のオトコのことなんかどうでもいいです、何の興味ももう無かったし。 多分頭おかしくなったと思ったんじゃないかな。 その後しばらくして何かゴニョゴニョいいながら出て行きました。 今思えばその時はっきり引導渡せばよかったんだなと後になって思ったりしましたが、とにかくビックリしすぎてそれどころじゃなかったんですよね。

「白けるって、こういうことなのか…これなのか…そうなんだ…すごい…」てな感じ。

後にも先にもその時だけです。 視覚的な影響はしばらくすれば徐々に戻りましたが、メンタルは視覚情報に(一瞬で)影響を与えるということがものすごい衝撃でした。

何か脳内麻薬的な物質分泌された?後々まで面白い経験したなと印象に残りました。

 

このことを何人かと話したことがありますが、「一瞬で白っちゃける」はいなかったけれど、(そういえば)「ふと世界の色鮮やかさに驚いた」「陽の光はこんなにも明るいものなのか」(と驚いた)という経験はしたというのを聞いたことがあります。 それは数人ではありますが、皆それぞれにかなりハードな状況に陥っていた経験がおありでした。

己が半身を失うような喪失体験。 苛烈なDV。 そして宗教2世。 そこから死に物狂いで脱却した人たちです。 脱却してすぐのことではなく、数年経ってからある日ふと「明るい」「鮮やか」と気付いたと。 

脳に超ハードな負荷がかかった時には自動的に外界の刺激を最小にするように脳自身がインプットされる視覚情報などを絞るのでしょうか。 そしてその長期の影響が戻るにはそれなりに時間もかかるのかも。

 

 

宗教2世は中学同級生の記憶がいまも棘のように引っかかっています。 以前私の出身は北海道の炭鉱町であることを書きましたが、炭鉱町というのは本当にかなり特殊で、例えば同級生の9割以上が親の勤務先が関連企業含めて同じという。 そして福利厚生として衣食住の「住」に関して相当に手厚かった。 具体的には社員は住宅が無償貸与され、電気水道ほぼ無料、暖房は石炭であれば輸送手間賃のみで玄関前まで届けてもらえます。(小型ダンプでザーッと山積みにしていくだけなのでそれを石炭小屋に角スコップで投入れねばならない。2時間半くらい?お陰で足腰鍛えられたw)

ただしそこには歴然と格差があり、職種、役職などで住める社宅の場所や造りは決まっていました。 逆に言えばどこの町内どういう社宅に住んでいるかで社内ヒエラルキーやら収入内容はほぼ推察確定するわけです。

 

同級生の中に、どう考えても結構な収入クラスのはずなのに身なりも持ち物も不思議なくらい…質素な、と言うよりもはっきりみすぼらしいと感じてしまう生徒がいました。 TVの話題にも入れずにいましたが、校内でこっそりやりとりされるマンガやカセットテープの輪に遠慮がちに隅っこに佇むような存在感で。

当時はコンビニもファストフードも田舎には無い時代、中学生がお金を使うシーンなど稀だったのがせめてもの救いだったかも。

彼女は中卒で東京へ就職していきました。 私の年齢はいわゆる集団就職の最後の最後、1977年を最後に当時の労働省集団就職を完全に廃止します。 見送りに行った駅でぽろぽろと涙をこぼす彼女に母親が、同じように泣きながらも信仰に基づいた行動を絶対に守るように延々と言い続けているのが異様でした。 彼女とはその後一度も連絡が取れていません。

そのうちに炭鉱自体がクローズして人々は散り散りになっていきました。 建物は廃墟となり、撤去され、あるいは雪に崩れ、彼女の住んでいた家も私の住んでいた家も、もう跡形も無く。

 

 

当時は宗教2世という認識はなかったけれど、この歳になるまで何人ものその立場にいた人たちに出会っています。 宗教とは何なのか、つくづく考えさせられます。

救ってくれるんじゃないの? 安らぎを与えてくれるんじゃないの? 少なくとも「恐怖で脅して支配する」のは納得できない。 あーでも「死後の世界で裁かれて地獄に落とされるのがイヤなら行いを正して信心しろ」は恐怖による脅しだよなー。

 

私の実家は代々禅宗ですが、仏教以外でも神仏の像があればとりあえず手を合わせるなり黙礼するなり「人様が大切に信仰している対象を謗るようなまねはしない」を心がけてきました。 これはマナーとかのレベルではなく、日本国憲法のもとで人権の一つとして「信教の自由」が保証されているからです。 信じるものが異なる宗教であろうとその信仰はそれぞれに尊重されるべき、そう考えているからです。

教義に共感できないとか、その布教方法が嫌いとか、儀式が受け入れがたいとかがあってもそれは別問題であり、私はあなたがそれを信仰する自由を尊重しますのであなたも私の宗教・信仰に対するスタンスを尊重してください。 それが相互に守られている限り、私はあなたの信仰を否定しません。 

 

…わかりやすい話だと思ってたのですけどね。

カルトに関してこの国で世界的に見ても大きな事件がありましたし、個人的にはある人物があれよあれよと取りこまれてゆく様を間近に見たこともありました。 

信仰というよりも「狂信」となってしまった時点でハナシは通じないということは経験から学びました。 

 

 

子供の頃から月参りで和尚さんが般若心経唱えるのを聞いていましたが、具体的にこういう解釈だというのをしっかり考えたことはなかった。 個々のフレーズ(←って言うか?)色即是空 空即是色とか普段でもよく聞くし個人的には 能除一切苦 真実不虚ってのが好きなフレーズ(だからフレーズって)。

 

もちろん解釈はさまざま、現代語訳も多く出ていますが本当に様々。

 

sousei.gr.jp

 

www.e-sogi.com

 

www.zen-essay.com

 

どの訳でも徹底的に共通しているのは「いまじん、のーへぶん。」的なこと。 そして「知ること、考えること、自分の頭で深くしっかり考えること!」の大切さ。

この30年で起こったことを本気で考える機会は、これを逃したら多分もう来ない。 この国の緩やかな衰退を止められるかどうか、これからの数年にかかっている。

 

 

昨日、一昨日とこの時期にしては気温の上がった札幌。 でも空気はカラリと乾いて空は高く晩夏と言うより今日はもうはっきりと初秋の色が濃い。 

スタッドレスタイヤ、ストーブ、除雪機のCMがどんどん流れるようになり、また来る冬をちょっと遠くに見ながらいつもの玉ねぎ・札幌黄の販売開始を待っている。

まもなくアキグミの実もこんな風に赤くなる。