mouratta’s blog

うっかり半世紀生きてきて、自分がギフテッドと やっと気づいた私。

初夏の札幌

 

札幌の初夏の象徴、アカシアが散り始めています。 

本当は「ニセ」アカシアが本名なのですが誰もそんな野暮なことは言いません。 私もアカシアと呼びます。 和名は針槐(はりえんじゅ)、いまやこのハチミツは高級品になりました。 国産アカシアはちみつなんてもうびっくりなお値段。

満開直前のアカシア

 

私が学生の頃、課題製作で居残りし、夜も更けてから校舎を出ると、この時期には札幌のわりと街なかでもふわっと甘い花の香りが漂ったものでした。 社会人になってすこし気の利いたお店に出入りできるようになって、アカシアの花の天ぷらを出してくれるところも沢山ありました。 甘くておいしいんです。

 

私の生まれ育ったのは北海道の炭鉱町でしたので、アカシアは半野生化して山にたくさん生えていました。 マメ科なのでやせ地でも生育が早く、木質が硬く、坑内で使う木材にはカラマツと並んで好適とされていました。 

冬場の薪としても重宝だったので、今のように邪険に扱われることなく、花の時期は密集している山の部分がうっすら白く見えるほどでした。 たくさんの養蜂家があちこちに巣箱を持って訪れてきていて。

ですがアカシアの樹木寿命は30年ほどで、それを過ぎるとバタバタ倒れ始めます。 倒れた後は他の広葉樹が多種生え、今度は少し離れた場所にアカシアの群落がみるみるうちに育つのです。 なので「(ニセ)アカシアの巨木(屋久杉みたいなイメージの)」はまずありません。 背高く育ったのはあってもどっしり感はないです。

 

転勤族になって20数年北海道を留守にしてる間に何だかんだとあって、積極的には植えない方針になってしまい、街路樹などに選ばれることもなくなって札幌市内でもずいぶん減りました。

というか、街路樹自体がすごい勢いで減らされてますね。 要は経費がかかるということなのでしょうがそこまでこの国は貧しくなったのかとぞっとします。 

 

ただ、この積極的に植えられなくなった最大の理由は「外来種」としての問題が大きかったわけなのですが…

ja.wikipedia.org

北海道は…アカマツクロマツも道南の一部地域に人口的に植えられたものばっかりなんで、そもそも北海道の在来種って…っていうか、「いかにも北海道だよね~!」というイメージの中にある植生って相当外来種や道外から持ち込まれたものですけどね?

いつか来た「あの道」に咲いてるアカシア、北大のポプラ並木、大通公園ライラック、カラ松の防風林、ハルニレは在来種だけどそれが畑の中にすっとのびやかに立ってるあの風景の、牧草もじゃがいもも自然ではない。

 

上のリンクにあるように、千曲川で在来種が駆逐されかねない状況で、外来生物排除のために伐採するのは理解できます。 でも北海道って…明治以来原野を切り開き開拓しての今。 開拓当時の植生なんて札幌中心部はじめ炭鉱開発、農地開発された地域にどれだけ残っているのかという。 手つかずに近い状態で保全されてきた原生林ならそれを維持し続けることは大切だと思うのですが。

外来だろうがもう100年以上生態系構成してきたんならそれはそれで…しかも北海道民、私もそうですが年齢高いほどアカシアには好意的なイメージ強くて。 植えるなとか駆除しろとかっていう号令にはあまり良い気分ではない方も多いんですよね。

だいたい大好きなアカシアはちみつ、国産のこんな高いと買えないし! 食物の恨みはコワイのよ(一一")

 

何の話かというと、日本全国ひとまとめで自然環境にかかわることを雑に決めるのやめてくれないかな。 ということです。

 

波の穏やかな内海である瀬戸内海の設計基準の船を、波の荒い外海で、水温も低く一年のうち冬何カ月も陸揚げして寒風にさらす環境でつかうことを「国が決めた基準満たしてる」とか、他ではもうすっかり春でもいまだ海水温ひと桁の北海道で、万一海に投げ出されたら低体温症で短時間でも生命の危険があるような地域の船に、「つかまって浮かんで救助を待つためのいかだがあれば救命ボート搭載不要」とか。

 

ほぼ2カ月書き込みが滞ったのはあの知床観光船のことでした。 前回の記事UPがまさに4月23日当日、投稿し終えてニュースを見た時のショックは、私にとってかなりひどいものでした。 船が浸水して連絡を絶ったということの重大さは、あの時期の道東地域の海水温がどのくらいか分かっていれば言うまでもなく、なんとか救命ボートに乗込んでいてくれるようにと祈るところに流れてきた報道は、小型船であるので救命ボート搭載はしていない、それは法的に問題ないので搭載していない、と。

運営会社への凄まじい怒りで髪が逆立ちました。 地元なので全国ニュースで取り上げられないことも細かく報じるローカルニュースが一日に何度も流れます。 前記事で自分にはHSP的な傾向があることについて書き込みましたが、事故とその後の報道であらわになる諸々は心的バッテリー残量をゴリゴリ削っていきました。

 

知床というか、斜里町には現役時代取引先があり、一時期は親族もいたので親しくさせて頂いた方が何人かいらして、当時も観光産業はもちろんあったのですが、私の知っている方たちは例外なく自然への向き合い方がしっかりとしていました。 

英国のトラスト運動を手本に早くからしれとこ100平方メートル運動などの活動を自治体も率先して立ち上げましたし。

尊重であり、畏怖であり、基本的には「侮ってはならない気まぐれな絶対君主」という感じでしょうか。 恵みはあるが一つ間違えば命を取られる。 知識と備え、そして用心が必須。

 

観光に携わっている人たちともお話しする機会が何度かあり、観光客の落とすお金はやはりありがたいものだけれど、困ることも確かに増えた。 正直腹の立つこともある。 それでも無事に帰してこそのこと、「お客さんは、分かんないから。」「自然ってのは怖いもんだって、命取ってくもんだって、分かんないから。(分かってる俺らがちゃんとやらないとダメなんだ)」

そういう気概で観光に携わっていたあの頃のおじちゃんおばちゃんたちは、どんな気持ちでおられるのか考えると胸がつかえます。 まさか地元の人間が経営する会社がこんなカネだけ優先でやらかすとは。

 

観光船運航許可の取り消し処分について社長は異議申し立てはせず受け入れると表明し、その際「国の責任」についても言及していました(どの口で言うかと大声上げたくなる気持ちはありますが)。 

責任転嫁極まれりというのは簡単、でも確かに「認可」する以上は国には許可した責任があるのです。 そのやり方が天下り用に作られた訳の分からない団体が行う杜撰で形式ルーチンに堕した検査の結果であることは否定できません。 そのシステムを作ったのは、国です。

報道取材が進む中で、検査の際にいくつも不適に相当する要素がありながらこの事業者に許可が出たのは何故なのかと問う取材者に対して、その内容詳細は「公開しない」とされました。 ずっとこうです。

公開しない、公開しても黒塗り、いったい誰をかばっているのか。 権力を手にさえすれば、その輪のなかに入っていれば何をやっても御咎めなしなのか。 国とは一体何なのか。 いったい何が国をそうさせているのか。

 

へばっていましたが、そんな事してられない。 来月は選挙、参院選とはいえ絶対多数を与党が取ればこの状態が容認されることになる。

私は特定の支持政党はありません。 けれど今の与党の政治がこの30年でどれほど様々なことを悪い方向へずるずると引き込んできたか、特にこの数年は恐怖すら感じます。 若い方こそ、考えて頂きたい。

 

消費税はじめいったいどれだけの負担を強いられているのか。 それを決めたのは誰なのか。 正社員と派遣社員は何がどう違い、なぜ派遣社員がこんなに増えたのか。 誰がその仕組みを促進させるような政策をとったのか。 インフラはじめ公的な様々な物を「利益が出せないのはオカシイ、元は税金だ、無駄遣いさせるな!」と民営化にシフトしたあげく料金が上がり、サービス内容は低下し、はては不採算地域だからと切り捨てられる。 年月が経ってみてよく見れば良くなったことはほとんど無い。 見えないように誰かの懐が潤う巧みな仕組みが出来上がってる。 

高校生なら特に経済的な負担はあまり実感できないかもしれないけれど、大学に進学するのに数百万のローンを組まなければならず、それをその後20年あるいはそれ以上かけて返済していく自分の未来、それ、誰がそうしたのか考えてほしいんです。

 

知床の観光船事故も現状の様々な問題も、根にあるものはひとつです。 変えられる。

今ならまだ変えられます。 このままではおそらくいずれそれすらも出来なくなる。

そして若者は戦争に行く国に、再びなるのです。