何でこのブログを始めたか…最初の記事は、こちら。
「ギフテッド」と呼ばれるタイプがこの世に存在しており、そしてその特徴が、まさに自分自身のことである、と初めて認識したのは、2015年の11月下旬・・・29日。
こんな風に何年何月、日付まで覚えているというのは稀です。(算数障害の影響か、とにかく「数字」が記憶しにくい)逆に言えば、それほどのインパクトだったということです。
その時、私はちょいと必要があって発達障害について調べていました。
その流れで引っかかったのが「ギフテッド」でした。
Wikiの「ギフテッド」についての記述を読んだ時の気持ちは今でも忘れられません。
何というか…今までの人生の中で、ここまで「腑に落ちた」のは初めてではないかというほど。 ずっと、ずっと自分の心の底の底でうつむき続けていた何かに、初めて光の筋が届いて明るく照らされ、顔を上げて泣き止んだ。 きつくくい込んでいた戒めがはらりと解け、その手を光に向けておずおずと伸ばす。
ベタですがそんな映像。
「これは、私だ」
今までずっと自分を「外れ者」と思っていたのが、自分のゆがんだ性格が悪いと自分自身を責めつづけていたのが、「ギフテッド」と呼ばれるタイプの人間がいる。
それは、「生まれながらに天より賜りしギフト」であり、本人の成長、生育に伴って形成されたものではない、そしてその特徴は…まさに私自身がずっと苦しんできたことでした。
最大の収穫は、2Eという概念を知ったこと。
私の強い劣等感の一つが、数学のどうしようもないほどの不出来さ。 私はずっとそれを、自分自身の甘ったれと考え、自分を責めてきました。 ちゃんとやれば出来るはずなのに、やらないロクデナシ。 だって現代国語なんかなんの努力も必要とせず90点台普通に取っちゃうんだもの。 そんな「出来の良い」アタマで、数学がそこまでできないって、何なの。
「ギフテッド」そして「2E」
・・・私のせいじゃなかったんだ・・・
誰のせいにするわけでもないです。 ただただ、「私が悪い」わけではなかったんだという事実。 Wikiの記述を読んで、自分の心が解放されていくのを感じていました。 知は力なり。 その言葉を噛みしめました。 「ギフテッド」で検索をかけ、読み漁りました。
そして、50歳代になるまでこれらの知識を知らずにいたことに言いようのない哀しみ、残念な気持ちを感じました。 怒りは感じていないけど、怒ってもいいかなぁw
何故ほったらかされていたのか、と。
欧米では1960年代には既に試行錯誤的にではあったろうけど、ギフテッドにも、学習障害にも、教育現場で対応が練られていたのに。
もちろん、このブログの最初に書いたように、私は医師の診断を受けたわけではなく、医療関係者でもなく、それら専門教育を受けたわけでもなく、その私が本当に「ギフテッド」という根拠は何だ?と言われれば、「根拠はないです、でも私はそうです」しか言いようがないのですが。
自分を「ギフテッド」と認識できたことで、本当に「気が楽に」なりました。 今までのように、何をやってもどこかにあった自分を責める気持ちがゼロに…ではないのですが、自分でも驚くくらい減りました。
ただ、現実の暮らしの中で、問題が自動的に解決したわけではありません。 っていうか、問題は変わらずあって、意図してるわけではないのですが、人様に嫌な思いをさせることがあります。 特に「会話が成立しない」ことは本当に…シンドイ…です。
今も時々思い出すのですが、20代、初めて就職した会社で、まぁ…浮くわけです、特にオンナノコの中で。
お昼、事務所でお弁当食べながらきゃいきゃい話してるのが、昨日のドラマの話とか、芸能人のゴシップ、友人知人の噂話。 そのつもりはないけど、顔に出るのでしょうね。 (何が面白いの、バカじゃないの、くだらない、つまらない)当時まだその言葉は無かったけど、今でいう「上から目線」
半年、一年と経つうちに「何なのあの人」となっていき、ある日、上司に言われるわけです、困ったやつだなまったく的に、「君さぁ、もうちょっと皆と話せない?」
・・・まぁ、私も若かったですし。
「何話すんですか。 昨夜のドラマの話ですか。 だったら無理です。 そんな く だ ら な い こ と にまったく興味ないですね。」
これで孤立しないわけがないよなぁ。
50代の今となれば、そのことはよく分かります。 せめて映画の話…ダメだ、ジャンルが合わない。 小説やエッセイだったら…ダメだ、SFとか誰も読まんw
例えば、有線で「スタンド・バイ・ミー」が流れた時、
私は思わず「うわ、度忘れ、思い出せない、これ誰だっけ?」
訊かれた同僚:(何言ってんの?)「ジョン・レノンでしょ。」
と答えられて、うんざりした顔して「あぁ…」と答える私。
ベン・E・キングって答えてくれるような人は誰もいなかった。
そりゃ「これ誰だっけ」と聞いた私が悪いんでしょうが、「どっち?ジョンレノンでいいの?それともベン・E・キング?」
こんな答えを返してくれないと、私としては会話は成立しないわけです。
ジョン・レノン、分かるわい!この声聴いてる状況で誰がそんなこと聞くか!なんてことは誰も酌みとってくれません。 特に同世代ではまずいない。 応えた方にすればくだらない質問に答えてやってうんざりされる、何このヤなヤツと思わないわけはない。
つい最近も「会話を楽しみたいのに、すぐ結論だされて終わっちゃうんだよ。 アタマいいからそうなんだろうけど、こっちはずっと我慢してる。」と、長く冷たい喧嘩の後に言われました。 こういうのは、かなり堪えます。
知らないふりして「そうなんだぁ~♪」とか言えたらいいのかなぁ。
でもね、もうとっくに答えを知ってることを興味深げに会話するって・・・つらいのですよ・・・(´・ω・`) 自分が嘘ついてる感も持っちゃうし。
仕事なら出来るんです。 仕事だから。 接客手腕高かったです。
でもプライベートな場面で、大切な人にそう言う振る舞いするって、相手を愚弄している気がするのです。 ま、正直に言えば退屈でうんざりするってのもありますけど。
よくある、相談めいた口ぶりでこぼされる愚痴も、ものすごく苦手。 あれこれそもそも相談なんだと思って(そう言われたし)いますから、話を聴きながら問題をあぶり出し、解決の糸口を本気で考え抜いた挙句にこう言われる。
「ちょっと愚痴っただけ(黙って聞いてくれればいいのに:怒!)」
… 腹立てるのはこっちじゃないんかいー!
IQ数値差が20あると、会話は難しくなるという説があるようですがそれはなんとなくわかります。
「もうさ、困っちゃうんだよ~
(慰めて。こっちは悪くないって言って!)」 という相手と
「う~ん・・・それってこういうことが問題なんじゃない?
(解決法探そう!!)」 と答える私。
「(最も合理的、効果的な解決法はこれではなかろうか)こうしたら?」
という私と
「(なんでいきなりそんなこと言いだすの、意味わかんない)なんで?」
という相手。
往々にして相手は「でもね、だってね、無理、出来ない」と言い始め、私は「その出来ないことは分かった、新たな解決法を考えよう」とする。 しかし結局「デモデモダッテ」なので、次第にイライラする私。 ふふ、そりゃ友達少ないわw
最近はやっとそういう会話も対応できるようになったというか・・・
一度誰かにその手を喰らったら、「あのね、私は相談と思えば一生懸命解決策を考えようとするの。 単なる愚痴で、ただただ誰かに聞いてほしいということなら、最初にそう言ってほしい。お互いのためにはそれが一番だと思う。」とハッキリ言います。
ヒドイ、とその時点で離れていく人もいますが(これって、ヒドイの?w愚痴っぽい人は元々合わない相手が多いのでこれ幸いではありますけど。物は言い様で角が…は分かるんですが、そもそもこっちの都合とか考え…以下略w)中には夫婦仲が良くなったって感謝されたこともありました。
彼女の(聴いてほしいだけ~、気持ちに寄り添って欲しいだけ~)の「相談」に、旦那さんは「ああしたら?こうしたら?」と、聴くよりも解決法を考える。
その挙句に「ただ聴いてくれたらいいのに!」と怒られる。 旦那も堪らんわw
私にズケッと言われてから、旦那さんに話すときにまず、「ねぇ、愚痴なんだけど誰かに聴いてほしいの、ダラダラ話してもいいかな?」と言うようにしたところ、思いがけず、「うんうん、そうか、そりゃ大変だな」と(聴いて、気持ちに寄り添って)対応をしてもらえて目から鱗だったとか。 そしてだんだん、誰かに聞いてもらって共感をいちいち得なくとも、自分の中でネガティブな感情処理ができるようになり「なんだかスッキリ」だそうで。
それ聞いたときに、私はいわゆる「男性っぽい脳」なのかもな、と思いました。
(誤解しないでくださいね、ここまでの「愚痴」の件、なんとなく「男性優位」っぽいなと感じる文章だと自分でも思うのですが、そのつもりは全くありません。 文才のなさで巧く表現できないだけです。
単純に「解決策・打開策」を考える傾向の強いタイプと「共感性・感情理解の深まり」を重要と考える傾向の強いタイプ、それに男性女性の違いがある気がするということを表したものです)
現在、脳には男女差があり、それは胎児期に『アンドロゲン・シャワー』を浴びるかどうかで決まる、という学説がどうやら正しいらしいとされ、さらにそれで男性ホルモンのテストステロンを多量に浴びると、手の薬指が長くなる特徴が発現する、という相関性が言われているのをご存知の方もおいででしょう。 まぁこの説もそんなことない!って反対唱える説もあるし、結局はあなたは何を信じますか~?なんですけどね(-_-)
・・・薬指長いです・・・ヽ(^o^)丿
長いかも?レベルではなく、明らかに爪半分長いw
そして足は「ギリシャ型」 あ、これは今回あまり関係ないけどw 素足ってあまり・・・大人になってから人様のまじまじ見る機会ってそんなないから、自分は少数派だと分かってびっくりした。
私は「ギフテッド」です。
そして「2E」というタイプで算数障害を抱えています。
幼いころから強烈な違和感、疎外感、孤独感にさいなまれてきました。
それらは自分の性格に問題があるのだと自分自身を責め続けていましたが「ギフテッド」という概念を知り、その特徴とされる諸々が私の状態とほぼ合致し、自分が「ギフテッド」であると確信しました。
「私のせいではない」という認識は、とても私自身を解放しましたが、現実には問題の全てがキレイに消え去ったわけではなく、それは今もあり続けます。
ですが、本当に楽な心持ちになったことは確かです。