mouratta’s blog

うっかり半世紀生きてきて、自分がギフテッドと やっと気づいた私。

Pop Virusはとても好きで、でも刺さる。

 

f:id:mouratta:20211225123925j:plain

クリスマスも穏やかに過ぎつつ、今は年賀状の宛名書きに入ろうとしています。

え、まだ出してないの? ふふふ、元々ちゃんと出すようなタイプじゃありませんのでこれが通常。 現役の頃は30日に本局駆け込み投函ってのが毎年暮れの定番。 毎年ちゃんと出せる人尊敬します、ホントに。

 

2年ほど前からあえて出さずに終了する方も増やしました。 本来なら「本年を最後に年賀状は仕舞いに…」くらいのご挨拶書くべきなのかもしれませんが、一括で全ての方を仕舞うつもりではないのでなかなかそれも書きにくい。 何かの拍子に「え?私は変わらずお年賀頂いてますよ?」なんて話にならないとも限らないですし。

今は20枚くらいでしょうか。

 

数年くらい前までは11月に入ると年賀欠礼のご連絡をいただくと大方親御さんの訃報であったものが、最近はそれに混じってご兄弟であったり、配偶者の死去を知らせるものがぽつりと入りこむようになってきました。

中には喪中であることだけを知らせ、誰がとも分からないものもあります。 これは割と親しい相手で事情が分かっているのですが、親御さんの離婚再婚がからんで家族関係が入り組んでいるので書きようがなかったということで。 この先はこういうことに悩む人も増えていくのだろうかとか。

 

年賀のあて名書きと言ってもPCでソフト立ち上げて印刷してゆくだけなので、なんの手間でもないのですが、やはり一言書き添えるのにどうしても考え込んでしまったり。

特に配偶者を亡くした方への寒中見舞いはなかなか…言葉を紡ぐのが難しい。

 

 

昨日はMステ、ミュージックステーションスペシャルライブ放送で、ラスト近くのオザケンあたりからたまたま見ていました。 オザケンの次は星野源、あらラッキー♪

…と軽い気持ちで楽しく視て…と思ったら「Pop Virus」「不思議」の2曲。

「Pop Virus」で不覚にも目が潤んでしまった。

この歌詞をどう受け止めるかはその人それぞれでしょうが、私はとてつもない絶対的な孤独を感じたのです。

 

「君を愛してる」というフレーズを聴いた時、目の前にその愛する対象がいて、自分に目を向けてくれているとすんなり浮かぶならそんなことはないのだろうなぁ。

www.google.com

 


www.youtube.com

 

けれど探すのも、漂うのも、彷徨うのも、愛するのも暗闇や霧の中でただ一人という画が浮かんでくるってのは、どうもねぇ。 ツラいな。 ちょうど寒中見舞いを書きあぐねていたタイミングでもあり、刺さってしまったということですね。 私個人は配偶者がいて、まぁ日々楽しく暮らしてはいますが、元々の性格の闇の部分は消えはしないということでもあるのでしょう。

 

それと同時に、愛ってのは個として自立してないと成立しないかもとぼんやり考えてました。 愛は依存とよく似ています。 そして依存は愛とそっくりな背格好をして、私こそが愛だとささやきかけてくるんですよね。 見分けるのは難しい。 そしてたとえ喝破したとして、脱却できるかどうかはまた別の話で。

 

暮れも押し迫ったというのに何書いてんだ私は(^▽^;)

まもなくワタクシ誕生日でしてね、めでたく還暦迎えます。 要らねぇよ赤い服。 まさかこんな年齢までマトモに暮らしてこられるとは思ってなかった。 いろんなことに感謝する年の瀬でございます。

寒波であちこち荒れるそうな、ご用心なさってくださいね。 

では年賀状書きに戻ります。(←はよせぃ!w)

 

 

 

それにしても、最後の最後に「渡す」という言葉を入れこむ星野源の凄さ…

渡す相手が、かならずいるのだよ、多分、誰にも。