1月晦日の札幌は延々と雪が降りました。
ちょっと街に出ようかなと迷う気持ちもあったけれど、蔓延防止もあり、大雪もありで結局見送り。 最終日は混むだろうし…と思ったのもあって数日前に自分なりに別れを告げてきたのでまぁ、いいか、と。
別れを告げてきたのは札幌中心部にあり、長く若者に人気のあった「4丁目プラザ」というファッションビルです。 長く。 はいホントに長かった、開業は50年前。
老朽化により解体となります。
札幌で冬季オリンピックが開催されたのが1972年、その前年1971年9月に4丁目プラザ(通称4プラ)が開業し、その4年後に駅前通りを挟んだ向かいに札幌PARCOが開業、このエリアが若者文化発信の中心部となりました。
JR札幌駅の建て替えに伴って商業施設の新設が大規模に企画され、核となる大丸百貨店の開業(2003年3月)によって今まで「駅前エリア」「大通エリア」が2大商業圏だった札幌中心部のショッピングエリアバランスは劇的に駅前エリアに比重が移り、大通エリアは一時かなり深刻に落ち込んで今もなおかつての状況には戻っていないと思います。
その当時私は札幌を離れていましたので、年に1,2度帰省するたび4プラもPARCOもかつてのキラキラした印象が薄れ、大通エリア全体になんとはなしに寂れ感が漂ってくるのをぼんやりと定点観測するような気分で観ていました。
4プラを4プラたらしめていたのは、売場最上階7Fにあった「自由市場」。
照明は薄暗く、小さければ1坪程度のスペース、ほとんどの店は屋台のような設えで、雑貨を扱うのが主流。 アクセサリー、洋服、帽子、靴、エスニックなモノ達、国内外の民芸品、中古レコードCD、食器やポスター映画パンフ、輸入菓子、あるいはハードボイルドな喫煙具やアーミー小物などなど、普通の「店舗」では扱いきれないこまごまとした品物がごちゃごちゃと詰まって、まるで迷路のような狭い通路の両側にひしめく。
まさに自由な「市場」でした。
中東の「スーク」や「蚤の市」イメージといえば分かりやすいかも。 その多数の店舗の中でもひときわ認知度が高かったのがエスカレーター上がって正面奥左側にあった「SoftCream」と、エスカレータすぐわきの「BRIC―A―BRAC(ブリッカ・ブラック)」でした。
特にブリッカブラックは、今60代半ば~40代の札幌のオンナノコ、オトコノコならここでアクセサリー手に取ったことのない子はいないんじゃなかろうかと思うほど魅力のある店であり続けた。
キャッチコピーは「1フランから買える店」。 フランは2001年からユーロになってしまったけれど、それまで為替変動はあれど大体数十円。 その言葉に嘘はなく、最後に行ったときもまだ15円とかのチャームパーツやビーズが無造作に置かれていた。
基本オーナーがフランスから買い付けてくるもので、私が学生の頃はたしかに他では絶対見つからないようなものがジャラジャラと異国情緒とともに溢れていた。
私はイヤリングが大好きで、金属アレルギーを発症する前はいつもこの店を物色していた。 いまもその頃買ったアクセサリーがいくつも引き出しの中にある。 多分今ではもうとっくに作られなくなってしまった、レジンではないガラスビーズのイヤリング、ブローチ、ヘアピン、パールビーズで編みこまれたボウタイとカフス。
当時の私には相当高額で迷いに迷って買った真っ赤なラインストーン。
数日前に行ったときも、別れを惜しむ様に売り場をさまようお客が沢山いて、懐かしい店主の石谷さんもおいでなのだけれど、もういいだけ「残念です」「ありがとうございます」的な言葉は浴びるようにお聞きになっておいでだろうし、心の中でお礼申し上げ遠くから一礼して自由市場を後にした。
寂しい。
※いつまで閲覧可能か分かりませんが、ブリッカブラックの記事。途中まで読めます。
BRIC-A-BRAC(ブリッカ・ブラック)骨董品、古物、がらくた…などの意。